小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

2406 名曲と共に生きる 谷村新司逝く

1
 シンガソングライターの谷村新司が亡くなった。74歳。多くの人に口ずさまれた歌をつくり、歌った名歌手だった。私の手元に2冊の本がある。オペラ歌手の米良美一編『日本のうた、やすらぎの世界』(講談社+α文庫=日本で昔から歌い継がれている歌の歌詞300曲を収録)と『メロディーに咲いた花たち』(三和書房=花にまつわる歌456曲を紹介し、うち162曲の歌詞を収録)だ。2冊の中には谷村が作った歌も当然入っており、私はこれらの詞を読み返した。 
にほんブログ村 ニュースブログへ
にほんブログ村

谷村の代表曲といえば、『いい日旅立ち』と『昴』といっていいだろう。この2曲は『日本の歌』の本に出ている。前者は1978(昭和53)年に旧国鉄(現在のJR)のキャンペーンソングとして谷村が作詞作曲し、人気歌手だった山口百恵が歌い、山口の代表曲になった。この歌に関して米良は「子供の頃私は、あまり旅行をしたことがなく、九州より北を知りませんでした。そんなわけで、この曲を聴いてはいろいろな想像をし、北国のイメージをつくり上げたような気がします。曲も短調ですので、やはり寂しいイメージで定着してしまいました」と、書いている。

「雪解け間近の北の空に向かい 過ぎ去りし日々の夢を叫ぶ時……」という詞は、北国で育ち、しかも社会人になってからも北国で暮らした私にとっても忘れられない歌になった。今振り返ると、この歌が流行し始めたころの私は、一番激務の仕事をしていた。警視庁の殺人事件や誘拐事件を捜査する捜査一課の取材を担当し、朝から深夜まで事件取材に追われ、旅行とは無縁の生活を送っていた。しかし、テレビからこの歌が聞えてくると、ふと、北国での生活が蘇って来て、心が暖かくなったのを記憶している。

その後も北国には縁があった。札幌暮らしを2回経験することができたからだ。当時、社内では転勤するなら「1に札幌、2に福岡、3に大阪」といわれ、札幌が一番の人気都市だった。だから、私が2度も札幌を経験したことに対し、「君は運がいい」「君はずるいなあ」と同僚から言われたことを覚えている。みんなが言う通り、札幌の生活は每日が快適だった。さらにそれ以前に暮らした秋田、仙台での生活は、私にとってきらきらと輝く思い出になった。

ところで、数年前、ある取材で中国内モンゴルを旅した。目の前に壮大な草原が広がっていた。その草原の彼方には、ハダクという青い布を飾ったオボー(丘の上に煉瓦で造った神が宿る積み石)が見えた。この時、心に浮かんだのは谷村の『昴』だった。ウイスキーCMと映画『天平の甍」のイメージソングとして作られたとはいえ、その雄大さを思わせる歌詞に、多くの人が惹きつけられた。私もそのひとりだった。「我は行く 蒼白き頬のままで 我は行く さらば昴よ」(第1節の終わり)









歌に対する思いは、人それぞれだ。生きた時代、環境によっても受け止め方が異なる。しかし、だれでもが時代を超えて心に響く歌がある。名曲たるゆえんだ。谷村の2つの曲も、名曲としてこれからも長く歌い継がれるに違いない。


3
 1514 中国の旅