デッドボール(死球)は「アメリカ野球の文化」という言葉が目に付く。大リーグ(MLB)ドジャースとパドレスの4連戦で8つの死球があり、双方が故意だ、いや手元が狂っただけだと言い張っている。死球はけがを伴う危険な行為だ。それを許す土壌の先には戦争があるといっていい。危険な投球を許容するかのような「文化」という言葉を安易に使いたくない。
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「文化」を辞書で引いてみた。広辞苑は3つの解説が載っている。
・文徳で民を教化すること(筆者注=武力に頼らず、学問によって国民を望ましい方向に教え導くこと)。
・世の中が開けて生活が便利になること。文明開化。
・(culture)人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ科学・技術・学問・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容とを含む。文明とほぼ同義に用いられることが多いが、西洋では人間の精神的生活にかかわるものを文化と呼び、技術的発展のニュアンスが強い文明と区別する。
これを読めば文化は暴力を伴うような負の側面にあるものではなく、人類にとってプラスのイメージの範疇にある。日本では11月3日が「文化の日」という祝日で「自由と平和を愛し、文化をすすめる」が制定の趣旨だ。文化には平和がふさわしい。
それにしても、投手が相手の打者に故意にボールを当てる行為は、危険以外の何物でもない。当たりどころが悪ければ、選手生命にかかわる重大事になる。(大リーグでは死亡例もある)日本でもプレーしたことがあるパドレスのスアレスが大谷翔平の右肩めがけて投じた死球がそれに当たる。たまたま肩ではなく背中に当たったものの、肩に当たっていた場合大谷の投手復帰が延び、あるいは肩に大きなダメージを与えてしまうこともあり得た。どのように言い訳しても通用しない暴力行為的投球だ。監督が指示したに違いない。
大リーグの故意とも見える死球を、もし喜んで見ているファンがいるとしたら、あなたは間違っていると言わなければならない。決して「文化」ではないからだ。プロ野球は見せるスポーツだからと、ショーの一部として乱闘騒ぎを是認するような報道もあるが、私は違和感を持つ。野球は格闘技ではないし、大リーグのこうした野蛮な伝統・習慣の背景には、民間人が銃を持つことを許す西部劇的風土があると思えてならない。
6月の大谷は例年打撃が「大爆発」の季節だ。だが、今のところ今年は苦しんでいるように見える。しかも投手と打者の「二刀流」復帰を目指す中で、こうした悪しき習慣に脅かされるとは、残念でならない。野球は力と技で競うスポーツのはずなのに、けんかのような状況が付きまとうとしたら幻滅だ。トランプ大統領は面白がっているかもしれないが、野球少年たちはこんな野球の姿をどう見ているのだろう。故意の死球に対し試合出場停止が数日などという緩い処分では、同じことが繰り返されるだろう。厳罰こそが必要であり、大リーグの死球をめぐる泥仕合は、決して文化ではないと言いたい。
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☆注
1、死球を受けた打者が死亡した例は大リーグに1件だけある。1920年8月16日に行われたヤンキース—インディアンス(現在のガーディアンズ)戦で、インディアンスのレイ・チャップマンがヤンキースのカール・メイズの投球を頭部の左側こめかみ部分に受け、翌日死亡した。死球によって死亡したのはこの1件だけだが、大リーグ、日本のプロ野球とも死球を受けて骨折など大けがをした例は少なくない。中には将来を嘱望されながら若くして引退に追い込まれた選手もいる。
2、公認野球規則で、投手は打者を狙って投球することが禁じている。そのうえで「これを投球した投手およびそのチームの監督には、審判員により退場を宣告もしくは同様の行為をもう一度行った場合は即刻退場させる旨の警告が発せられる」と定められている。また日本野球機構(NLB)は、セ・パ両リーグの申し合わせ事項でも危険球について同様の規定をしている。
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