まつたく雲がない笠をぬぎ
笠にとんぼをとまらせて歩く
2つの句は放浪の俳人で、無季自由律俳句(季語がなく、五七五の定型にとらわれない句)で知られる種田山頭火(1882~1940)の句だ。ここで出てくる笠は、現代ではほとんど見かけなくなった「網代笠」のことである。漂泊の旅を続けた山頭火の出身地は山口で、現代の旅の足ともいえる鉄道の駅前には2つの彼の銅像が立っている。それは山頭火にとって照れくさく、心苦しいことなのかもしれない。秋が深まる中、時々、山頭火を思うのはなぜだろう。
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網代笠は、竹の網代で作った笠のことで、JR防府駅天神口広場の山頭火像(1982年2月建立)は頭に網代笠をかぶり、右手に椀(鉄鉢)と左手に杖を持ち、墨染の衣と袈裟という托鉢の姿をしている。もう一つのJR新山口駅南口の山頭火像(1991年3月建立)は、同じ托鉢姿だが、脱いだ網代笠を両手で膝を隠すように手前に持っており、椀も杖も持っていない。冒頭の2つの句は「まつたく」の方が新山口駅前の銅像を、「笠にとんぼ」は防府駅の銅像を連想させる。
山頭火は名随筆を残している。その中に『道』と題した短い随筆も含まれている。日向地方(宮崎県南東部)を歩いていた秋晴れの午後のことだった。中年の痩せて青白い、神経質そうな男が「あなたは禅宗の坊さんですか、私の道はどこにありましょうか」と問うてきたという。山頭火が「道は前にあります、まっすぐにお行きなさい」と即答すると、男は満足したらしく、彼の前の道を真っすぐに歩いて行ったという。この後、山頭火は書いている。「道は前にある、まつすぐに行かう。――これは私の信念である。(中略)道としての句作についても同様の事がいへると思ふ」「所詮、句を磨くことは人を磨くことであり、人のかゞやきは句のかゞやきとなる。人を離れて道はなく、道を離れて人はいない。道は前にある、まつすぐに行こう。まつすぐに行こう」
山頭火は破天荒な生涯を送った。放浪の俳人といわれるように、各地をホイトウ(物乞い)のような僧姿で歩き回った。その信念は「道は前にある」だった。詩人で彫刻家の高村光太郎は「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」(『道程』)という詩を書いている。対照的ともいえるが、それは2人の生き方の違いだったのだろうか。
手元に近世から現代までの俳人や作家による名句を集めた『佐川和夫篇 名俳句1000』(彩図社)という文庫本がある。山頭火の句も収められているが、秋の句の中では「笠にとんぼ」の句1句が入っている。秋の日の午後、とぼとぼと歩く山頭火。網代笠には赤とんぼがとまっている。周辺は紅葉に染まっている……。そんな光景を連想させる句だ。その後ろ姿は、孤愁が漂っている。
写真 1、日本最西端の駅 松浦鉄道西九州線たびら平戸口駅(記事とは関係ありません)2、JR新山口駅前の山頭火像 3、JR防府駅前の山頭火像