~更け行く秋の夜 旅の空の~ラジオから流れるメロディーを聴きながら、この歌の歌詞を自然に口ずさんでいる。アメリカの作曲家オードウェイの原曲(家と母を夢みて)に犬童球渓が作詞した名曲(『旅愁』)だ。少子高齢化現象が進み、日本各地で住む人がなくなった廃屋が増えているという。同時に廃校になる学校も少なくない。私はこれまでの旅で、そんな廃校の姿をいくつか見てきた。その中でも北と南で見た2つの廃校は特に印象に残っている。
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校庭が銀杏の葉で覆い尽されて黄金色に輝き、その背後にひっそりと建つ校舎。さらに後方には紅葉の里山が見える。郷愁を呼ぶような風景に、涙がこぼれそうになったのは、福島県奥会津地方の昭和村でのことだった。村の中心にあった喰丸小学校は、児童数の減少から1980年に廃校になり、そのままの姿が残っていた。私がこの村を訪れたのは東日本大震災があった2011年の秋のことで、震災前後にはこの校舎を使って映画が撮影されたと聞いた。この村は豪雪に見舞われ、昔から麻織物の原料、苧麻(ちょま。からむしのこと)の生産で知られ、「からむしの里」といわれている。
現在、学校の校舎はどこでも鉄筋コンクリート造りだが、以前は木造の校舎が多かった。私の母校の小中学校もそうだった。旧喰丸小の校舎はその典型的な姿を残していて、一目見ただけで私は昔にタイムスリップしたような思いに浸った。この校舎は解体修理されて、現在はカフェもあり、この村の交流・観光拠点として利用されているという。校庭にあった大イチョウも大切に保存されているというから、今頃は見事な黄金色の風景を演出(夜間はタイトアップされる)しているはずだ。
もう一つは、長崎県五島列島福江島(五島市)の旧戸岐小学校半泊分校だ。島の中心部から車で40分ほどの里山と海がある自然豊かな半島部分にあったが、2006年に廃校になった。私は2012年、廃校になった校舎を市から借り受け、島おこしの活動を続けているIターン(東京から移住)の男性の取材が目的でこの島を訪れた。鉄筋コンクリート平屋建ての校舎を使って、五島へのUターン・Iターン希望者の相談、校舎に子どもたちを宿泊させて里山・島の暮らし体験、学生らのセミナー、研修受け入れなどの事業をやっていた。その後この廃校は全面改修され、現在は宿泊施設として利用されていると聞く。
最初の昭和村・喰丸小が山の学校なのに対し、半泊分校は海の学校ともいえる色合いだ。学校から歩いて数分のところにはエメラルドグリーンの海が広がっていた。近所にはかつての隠れキリシタンを思わせる木造の小さな教会があった。世界遺産には指定されていいないが、半島の歴史を思わせる建物だった。