夏が来た。
空を見てると、
旅情が動く。
中原中也の未刊詩篇の一つで「(夏が来た)」という仮のタイトルが付いた詩の冒頭部分です。
にほんブログ村
旅情という言葉で、人は様々な旅を思い出すでしょう。私はポルトガルの世界遺産の街、シントラで聴いた「ファド」が耳に残っています。それは、日本の民謡に似た響きで哀調を帯びていました。散歩をしながら、時々空を見ていますと、フォドを聴きたくなるのです。
シントラは首都リスボンに隣接し、ユーラシア大陸最西端のロカ岬にも近いポルトガル王室の宮殿やムーア人の城跡などがある観光の街です。フォドはポルトガルの民族歌謡といわれ、各地のレストランなどで、民族楽器のポルトガルギター、クラシックギターの演奏に合わせて男性あるいは女性の歌手が歌うのです。1979年に発売になった『異邦人』という日本のヒット曲は、フォドの雰囲気を持つといわれています。
シントラでフォドを聴いたのは、当時の日記を見ますと、ファドディナーショーをやっている大きなレストランでした。作家の司馬遼太郎は、リスボン市内でファドレストランに入り、ファドを聴いた話を『南蛮の道Ⅱ』(朝日文庫)に書いています。下手な女性歌手の歌を聴いたあと、雑役と思われた若い男性がステージに立つと、彼は目の覚めるような歌唱力を発揮し、司馬らはものを食べるのをやめるほど驚いたというのです。私が聴いた時は男性、女性の歌手が交互に歌っていました。歌の内容は分かりませんでしたが、哀調を帯びたメロディーが胸に迫り、旅の疲れも忘れました。
ポルトガルの女優で歌手のアマリア・ロドリゲス(1920~1999)は、ファドの女王と言われています。亡くなった後、リスボンのサンタ・エングラシア教会に埋葬され、エンリケ航海王子(大航海時代の幕を開いたポルトガル王朝の王子=1394~1460)、ヴァスコ・ダ・ガマ(インドへの航海路を発見した探検家=1460頃~1524)らとともに、国民的英雄10人のうちの一人といわれているそうです。
ポルトガルの女優で歌手のアマリア・ロドリゲス(1920~1999)は、ファドの女王と言われています。亡くなった後、リスボンのサンタ・エングラシア教会に埋葬され、エンリケ航海王子(大航海時代の幕を開いたポルトガル王朝の王子=1394~1460)、ヴァスコ・ダ・ガマ(インドへの航海路を発見した探検家=1460頃~1524)らとともに、国民的英雄10人のうちの一人といわれているそうです。
日本でいえば、国民栄誉賞を受賞した美空ひばり(1937~1989)的存在なのかもしれません。貧しい家で生まれたロドリゲスは、洗たく女(洗濯を仕事にした女性のこと)や港でオレンジの売り子など様々な仕事に就き、仕事場でも歌を忘れず、18歳でプロのファド歌手になったそうです。幼いころから大器の片鱗があったのは、美空とよく似ています。私は、美空ひばりの歌(「愛燦燦」や「川の流れのように」など)もファドの雰囲気を感じるのです。
⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄
以下は、中原中也の詩の全文です。都会に憧れず、田舎も愛さず、愛するのは漂泊だ、という詩を読みますと、松尾芭蕉、小林一茶、種田山頭火、尾崎放哉といった俳人たちのことを連想します。30歳で早世した詩人もまた、流浪の旅への憧憬の念を抱いていたのでしょか。知人によりますと、今朝の日の出前(午前4時ごろ)、西の空がビーナスベルトになっていたそうです。下の方が藍色、その上がピンクに染まる、冬に多い現象です。知人も「旅情が動いた」(旅情が湧く、かきたてる=旅に関するしみじみとした情緒や気分に浸る、という意味)に違いありません。
(シントラの街)
(夏が来た)
夏が来た。
空を見てると、
旅情が動く。
僕はもう、都会なんぞに憧れはせぬ。
文化なんぞは知れたもの。
然(しか)し田舎も愛しはえせぬ、
僕が愛すは、漂泊だ!
「生活」か?
そんなものなぞあろうた思はぬ。
とんだ美事な美辞に過ぎまい。
どうせ理念もへちまもないのだ、
ただただ卑猥があるばかり、
それとも気取りがあるばかり。
僕はもう、十分倦(あ)き倦きしてゐる!
夏が来た。
空を見てると、
旅情が動く。
「生活」とやらが…聞いてあきれる。
(1936年6月30日。中也29歳)
(ファドの店にて)