小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

2393「風よ教えて」世界の未来を ボブ・ディランに聞きたい

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 この夏ほど「風よ吹け」と思ったことはない。もちろん、暴風や台風ではない。暑さを和らげるここちよい風だ。しかし、太陽が照り付けると、日陰のない場所は風は熱風となる。慌てて日陰に逃げ込むと、汗が少しだけ止まる。そんな時、口ずさむのはボブ・ディラン(2016年歌手として初めてノーベル文学賞受賞)の『風に吹かれて』だ。1960年代に歌われた古い歌だ。それから60年が過ぎてもこの地球は何も変わらず、吹く風だけが私たちの未来を知っているのかもしれない。
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どれだけの道を歩めば 人は認められるのか
どれだけの海を渡れば 鳩は砂浜で休めるのか
砲弾はどれだけ飛び交えば 永遠に禁じられるのか
友よ「答え」は風の中にある
「答え」は風に吹かれている
(ブログ筆者、一節の意訳)

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 ディランのこの歌は、キューバ危機が去った後、世界の若者の間に深く浸透し、高校生だった私もラジオで耳にし、忘れられない歌になった。キューバ危機は1962年、キューバでのソ連ミサイル基地建設をめぐって米ソが激しく対立、アメリカは海上封鎖をし、米ソの核戦争の脅威が現実となった。しかしソ連がミサイルを撤去したことで、アメリカはキューバへの侵攻はやめ、衝突は回避された。

キューバ危機からちょうど60年後の2022年、ロシア(旧ソ連)はウクライナに軍事侵攻し、プーチン大統領は核の使用をちらつかせている。キューバ危機の再来ともいえる世界的にも危機的な事態だ。「How many roads must a man walk down」というディランの問いかけに、明確に答えることが出来るのは、だれもいない。その答えはまさしく「風に吹かれている」状態といえる。

近所にある集会所の屋根に「風見鶏」が付いている。吹く風によって、頭の向きが東西南北に変わる。8~9月は南風の日が多かったから、頭は北に向いている。これからは反対の向きになることが多いのだろうか。かつて「政界の風見鶏」と言われたのは中曽根元首相だ。風向き次第で態度がすぐ変わる、と言う姿勢を表現したのだが、これは風見鶏にとっては不本意だと思われる。本来は、悪魔よけであり、貴重な風向計の役割も果たしたのだから。風見鶏もまた、私たちの行く末を見ているのかもしれない。

私が勝手に「風の道広場」と名付けている場所がある。ここは花壇を中心にした円形の広場になっていて、毎朝、私も参加しているラジオ体操の会場になっている。風の通りが比較的いいことから、こんなふうに呼んでいる。ラジオ体操が終わると、参加者は三々五々、散っていく。ようやく涼しくなり、さわやかな風に吹かれて家路をたどるとき、ウクライナの行く末を心配し、世界に平和が戻ってほしいと願うことが少なくない。