
コロナ禍、ウクライナ戦争、災害の続発、物価高……。21世紀の地球は、いいことがない。そんな思いに沈むときは、本を読む。本棚から古びた文庫本を取り出した。井上靖(1907~1991)の『星と祭』(角川文庫)だった。先日、中秋の名月を見たばかりで、この本の表紙には丸い月を囲んで幾多の星が描かれている。昔読んだはずだが、内容は全く覚えていない。読み進めると表紙とは印象が違っていて、かなり重いテーマの作品だった。
《主人公は東京の大企業の社長架山。離婚歴があり、娘のみはるは別れた元の妻が引き取った。みはるは時々上京し、架山に会う。しかし、17歳の時、男友だちと琵琶湖に遊びに行き、ボートの転覆事故で2人とも行方不明になり、遺体は上がらないまま時が流れる。架山はその後、みはると架空の対話を続ける。事故から7年が過ぎ、架山は娘の事故の相手の父親、大三浦に再会し、彼の誘いで琵琶湖湖畔にある十一面観音菩薩像を見て心が穏やかになる。その後、琵琶湖周辺にある十一面観音像巡りを続ける。
満月を見ながらみはると会話をしようと、登山家たちの誘いで高名な画家とともにヒマラヤに行き、満月を見る。そこで架山は「永劫」という思いを感じ、みはるの死を受け入れる。その後、疎んじていた大三浦らとともに琵琶湖に船を浮かべ、2人の若者の葬式をやる。架山と大三浦には、次々と十一面観音像が現れるのが見える。それが終わると、架山は殯(もがり~亡くなった人の葬儀を行う前に、仮に遺体を納めてまつること)の期間が終わったことを実感する》
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作品は1971年5月11日から1972年4月10日までの1年間、朝日新聞で連載され、角川文庫にもなった。その解説は角川書店(現在のKADOKAWA)の創業者で俳人の角川源義(1917~1975)が書いている。朝日連載当時、角川はこの小説を毎日読んでいたという。そんな角川に悲劇が訪れる。大学入ったばかりの18歳の娘、真理さんが自殺したのだ。それはこの小説と似通っている。事故と自殺の違いはあっても、若くてこれから長い人生を歩もうとする少女がこの世を去ったのだから。「葬を終えた後も、末娘は生きているという幻想に私はつきまとわれた」と角川は書いている。
それはこの作品の架山と似た心理状態だった。連載の内容はその後の角川の生活と奇妙に一致し、角川も真理さんとさまざまな架空の対話をし、その多くを俳句(句集『冬の虹』、以下はそのうちの2句)にして残した。
秋風の石ひとつ積む吾子のため
いかに見し日向の灘や冬の虹(真理さんが修学旅行で訪れた宮崎県日向で)
後にこの本は絶版になった。しかし、琵琶湖周辺の人たちによって復刊を目指す活動が始まり、2019年にそれが結実し、単行本(能美舎)として販売されている。復刊した本を読み、この地域にある十一面観音像をめぐる旅をしている人もいるのだろう。十一面観音像は、どれもが人を惹きつけ、心を落ち着かせてくれる魅力があるに違いない。
冒頭に、21世紀はいいことがないと書いた。しかし、この本を読み終えて、それは書き過ぎたと思い直した。毎日、ラジオ体操で元気な人たちの顔を見ると、私も元気になる。窓の外の子どもたちの登下校のにぎやかな声を聞くのはうれしい。散歩の道に咲く花を愛でると、体のだるさも忘れる。平穏に過ぎてほしいと願いつつ、晩夏から初秋の日々を送っている。時には架山と大三浦が見た十一面観音像を思い浮かべることにしようと思う。
(『琵琶湖周航の歌』を聴きながら記す)
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★十一面観音像 変化(へんげ)観音の中で最初に誕生し、最も多くの仏像がつくられているという。本来の顔のほかに、頭部に十一ないし十の顔を持つ。すべての方向に注意を払い、人々の救済に当たるという、この仏像の超人的な頭の働きを象徴しているといわれる。国宝に指定されているのは、室生寺(奈良)、法華寺(同)、観音寺(京都)、向源寺(滋賀)など全国で7体のみ。向源寺は渡岸寺とも呼ばれ、『星と祭』では、大三浦に誘われた架山がこの寺で初めて十一面観音像を見る設定になっている。
★東京五輪に絡んで14日、東京地検特捜部に贈賄容疑で逮捕されたKADOKAWA会長の角川歴彦容疑者は、角川源義の次男。長男は角川書店元社長でコカイン密輸容疑で逮捕され、実刑判決を受けた俳人の角川春樹。歌人でノンフィクション作家の故・辺見じゅんは長女)

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