小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

2188 ネムノキの2度咲き 中秋の名月に願い込め

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 近所でネムノキの薄紅色の花が咲いているのを見つけた。普通は梅雨の頃に咲いている花で、この時期に花を見るのは初めてだ。狂い咲きかと思ったが、そうではないようだ。一度咲いた後、盛夏のころは一休みして夏の終わりにもう一度咲くこともあるらしい。私の注意不足だったのか、近所のネムノキがこれまでは1度しか咲かなかったのか、どちらかは何とも言えない。だが、再び、この花に接する機会があるのは嬉しいことに違いない。 

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こんなのんびりしたことを書いている一方で、パキスタンでは未曽有の水害に見舞われ、国土の3分の1が水没したというニュースが流れている。パキスタンは、ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんが生まれ育った国だ。マララさんは女子教育を否定するイスラム勢力タリバンによって銃撃され、奇跡的に助かったが、自然災害によって、多くの人たちが命の危機にさらされていることに衝撃を受けている。この災害は、地球環境が間違いなく変質・凶暴化していることを示している。

ネムノキは、夜になると小さな葉が閉じて葉が眠るよう野状態になる姿が名前の由来だそうだ。私の散歩コースにも何本かのこの木があって、梅雨のころには蒸し暑い中、散歩をしていて、花に癒やされた。いつしか花は終わり、この木を見上げることもなくなった。ところがつい先日、ふと、顔を上げると花が咲いているのが目に入った。最初は目の錯覚かと思った。しかし、立ち止まってゆっくりと見てみると、間違いなくネムノキに花が咲いていた。「狂い咲き」という言葉がある。言うまでもなく、花が季節外れに咲くことであり「返り咲き」ともいうそうだ。原因は様々あるらしいが、もちろん温暖化の影響もあるのだろう。それにしても1年に2度も花をつけたら、樹勢が弱くならないか心配だ。



 ネムノキの2度目の花を見て家に帰ると、私の故郷、福島に住む長姉から栗の実が送られてきていた。大きな実だ。この時期になると、毎年送られてきて私たち家族は秋がやってきたことを実感する。この姉は文章を書くのが好きで、俳句もつくっていた。同じ家に住んでいたこの姉の次女一家は、東日本大震災の際に発生した東電福島第一原発の事故後、故郷を離れたままになっている。姉は悲しみを顔には出さないが、喪失感は深いはずだ。それなのに、いつも私の健康を気遣ってくれる。きょうであの3・11から11年半になる。



 この夏、甲子園の高校野球で宮城代表の仙台育英が東北の高校として初めて優勝した。この優勝についてメディアでは「優勝旗が白河の関を越えた」という表現が使われた。白河の関は、古代奥州の南の関門であり、能因法師(平安中期の歌人)の「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」の歌で知られている。甲子園大会では、福島の聖光学院も準決勝まで勝ち進み、東北のチームが強くなったことを印象付けた。今後は白河の関越えなどと言う必要がなくなるだろう。一方で、原発事故により白河の関を越えて東北から他の地区に避難したままの被災者も少なくない。3・11以前のわが家に早く戻りたいという願いを込めて、中秋の名月を見上げた人もいたのではないだろうか。ネムノキも2度咲いた。その願いが叶う日が来ると信じたい。

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写真1、2度咲いたネムノキの花2、中秋の名月を見上げて3、今年も葛の花が咲いた4、届いた栗の実