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日本の国内には巨樹が多く、そのうち樹齢1000年以上といわれるクスノキも各地に残っている。中でも「阿豆佐和気(あずさわけ)神社の大クス」(静岡県熱海市)、「長太(なご)の大クス」(三重県鈴鹿市)、「加茂の大クス」(徳島県みよし町)、「川古(かわご)のクス」(佐賀県武雄市)、「蒲生(がもう)のクス」(鹿児島県姶良市)は有名だ。私は鹿児島姶良市・八幡神社の境内の蒲生のクス(樹高30メートル、幹回り33メートル)を見に行ったことがある。その巨大さに圧倒され、近寄りがたい雰囲気はご神木そのものといった印象を受けた。これらの大木が今後もその雄姿を見せ続けてほしいと願わずにはいられない。
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近江国の白蓮華谷(滋賀県高島市)に長さ十余丈(30数メートル)のクスノキの倒木があり、これが洪水の際、大津の郷に流れ着いて里の人たちに祟りを及ぼした。その後、この木で仏像をつくろう大和国八木(奈良県橿原市)や当麻(同県葛城市)に運ばれたが、ここでも祟りがあった。そこで長谷寺の開祖といわれる徳道上人(8世紀前後に生存した伝説的な僧侶。長谷寺の開基については諸説がある)がこの木をもらい受け泊瀬(桜井市。初瀬ともいわれた)で十一面観音をつくることを請願して、729(神亀6)年、2人の仏師によって3日間で2丈6尺(787・8センチ)の像が完成した。すると、にわかに暴風雨があり、地中から金剛宝磐石(こんごうほうばんじゃく)が出現し、この石の上に像は安置された。
この霊験は、その後の観音像の姿に投影されたといわれる。現在の長谷寺に安置されている十一面観音菩薩立像は高さ10メートルを超え、中世に作られた木彫仏としては日本最大だ。長谷寺は創建後、しばしば火災に遭い、現在の本尊(重要文化財)は1538(天文7)年に再建されたものだ。
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クスノキはいい匂いがすることから香木ともいわれ、飛鳥時代の仏像である法隆寺の百済観音や夢殿の救世観音、中宮寺の菩薩半跏像はクスノキ材でつくられているという。平安時代になると、クスノキより軽く木造に適したヒノキが注目を集め、その後はヒノキ製の仏像が大半を占めている。長谷寺の現存のご本尊もヒノキ材だろうか。現存するクスノキの幹に観音像が彫られたといわれる珍しい伝承もある。上述の「川古のクス」だ。千年程前の聖武天皇のころ、行基上人(東大寺の大仏建立に貢献した大僧正)が一夜のうちに3メートル余の観音像を幹に彫ったというのだ。しかし、明治初年ごろ、山伏によって削り取られたといわれているが、その理由は分かっていないという。(以上は八木下弘著『巨樹』講談社現代新書より。武雄市HPには「本来は、幹彫の観音立像がありましたが、永年の風雨によって幹からはがれ落ちました」という説明がある。
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多くの実が落ちているクスノキは、毎朝ラジオ体操をする広場のすぐ近くにある。そこは、「夏の道」という名前がついたケヤキ並木の外れの緩い坂道だ。数本の常緑樹のクスノキは、ケヤキが落葉した後のやや寂しくなった遊歩道を散歩する私たちを守ってくれているようだ。コロナが流行し、ウクライナの戦争が終わりが見えず、物価が上り続ける暗い時代だ。だが、そんな時でも堂々としたこの木を見ると「慌てないで」と言われているような気がして落ち着くのだ。目の前のクスノキは葉が雨に濡れ、鮮やかな緑色になっている。
1877 絶望の裏返しには希望が 東野圭吾『クスノキの番人』を読む(蒲生のクスの写真もあります)