小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

2176 貧弱な言葉は心に響かず「十年一日」の首相あいさつ

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一国のリーダーともなれば、様々な会合でのあいさつも仕事のうちだ。8月。岸田首相は広島、長崎の平和式典に続き終戦記念日の15日は、全国戦没者追悼式でも式辞を述べた。これらの全文は新聞にも掲載されている。そのキーワードは文章の丸写しである「コピペ」(コピー&ペースト)といっていい。広島、長崎のあいさつは8割が同じ内容で、戦没者追悼式も8割が前年の菅前首相の表現と同じ表現で、残りも安倍元首相の式辞を踏襲していた。テレビを見ていて、全く心に響くものがない。官僚か補佐官が書くにしても、工夫が足りないと言わざるを得ない。


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ラジオ体操仲間に3つの首相式辞の感想を聞いてみると、「あんなもの意味がないから聞き流したよ」「式辞なんて、そんなもんだよ」という冷めた声に加え、「コピペ文章を平気で読むことに恥を感じないのかね」「想像力も創造力もないことを感じさせるひどいものだ」という厳しい声もあった。一方、天皇の「おことば」については「私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大による様々な困難に直面しているとか、過去を顧み、深い反省の上にたって、などの言葉から、短くても心が伝わってきた」と話す人もいた。



  かつて、厚生省(現在の厚生労働省)を担当した時、3年間戦没者追悼式の記事を書いた。恒例行事でありその内容に大きな変化はない。だから、この記事を書くのは難しかった。そこで徹したのは、前年の記事を見ないで書くことだった。当然だが、最初の年、前任者の原稿は見なかった。それでも似てしまう恐れがあるので、書き終えてから前年分と比較して似ている部分は手直しした。

 同じ時代、役人が書いたあいさつ分を見ない大臣がいた。園田直(1913~1984)という熊本出身の党人派政治家で、1度目の厚相の時には水俣病イタイイタイ病公害病に認定した。私が厚生省を担当した当時、園田氏は2度目の厚相に就任した。折から肉親を捜している中国残留孤児の「訪日調査」が始まった。調査初日、会場の東京・代々木のオリンピック総合記念センタに集まった中国残留孤児の人たちを前に園田氏があいさつした。園田氏はあいさつ文を書いた紙を取り出したが、それを見ようとせず、静かな声で話を始めた。通訳があいさつを中国語に訳していく。淡々とした口調だが、戦争を起こしたことを謝り、肉親を捜し自分のルーツを探そうと必死の人たちを激励する内容に話が及ぶと、すすり泣きが聞こえた。それは取材する私の心にも響く話だった。かつては、こんな政治家もいたのだ。



  だが、毎年、8月の広島、長崎、終戦の日に加え、6月の沖縄戦没者追悼式での首相の言葉を聞くと、表現が悪いかもしれないが、十年一日」という熟語を思い浮べてしまうのだ。長い間たっているにもかかわらず、何も変わっていない。同じ状態がずっと続いて、進歩や発展がない」からだ。「未だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります」。戦没者追悼式の式辞の中ほどに、このような言葉があった。終戦から77年も経てまだこんな寝ぼけたような言い方に、心の痛みはないのだろうかと思う。そのことに何の疑問を持たないのか。2019年8月15日の追悼式でも安倍首相は全く同じ言葉を使っていた。(ブログ参照



  作家の故井上ひさしさん(1934~2010)は、2011年に3月に出版された『日本語教室』(新潮選書)で、「この十年来、本当に大事なものが何かということを見失っていると思うのです。(中略)すべての分野で、何をやっていいのかわからないという状態です。石川啄木流に言いますと『時代閉塞』感ですね。そこで目立つのは、いい年配の日本人の日本語、特に政治家、官僚、そういう人たちの言葉です。非常に貧弱でよくない」と書いている。それから10年余。政治家、官僚たちの言葉はますますひどくなっているように思えてならない。

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写真 今朝の空には、白鳥が飛んでいるような形の雲が浮かんでいました。3枚目は広島の原爆ドーム