小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

997 夕やけの雲の下に 子どものころの夢は幻 ロンドン五輪(3)

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 オリンピックが開催されたロンドンの街並みがテレビでしばしば紹介された。その映像を見て、「夕やけの雲の下に」という百田宗治の詩を思い出し本棚から詩集を探して読み返した。少年の夢を詠った詩である。オリンピックで活躍した若者たちにもこんな思いが子どものころにあったのではないか。


  以下、詩の全文


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 遠い夕やけの空をみていると


 ぼくはあの雲の下に美しい国があるとおもう。


 心のきれいな人ばかりが住んでいて


 いつもたのしい音楽がきこえているような気がする。


 


 ぼくはあの遠い国に行きたいなとおもう


 そこには白い塔や、美しい広場があって


 塔の上にはいつもきらきらと黄金いろの日がかがやき


 広場にはぼくたちのような少年や少女が、いつもいっぱい遊んでいるような気がする


 


 ぼくはあの国に行って


 よい本を読み、よいことを考え


 みんなの役にたつよいことをしたいとおもう。


 あの国にもきっとぼくたちのような少年がいるだろう。


 


 遠い夕やけ雲を見ていると


 ぼくはあの下に美しい国があるとおもう。


 美しい音楽と、たのしい夕餉があるとおもう。


 そこへ行けないのがなにかかなしい気もちがしてくる。


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 外国への憧憬。似たような夢を子ども時代に持っていた気がする。


  だが、歳を経るにつれその夢は幻になってしまった。オリンピック選手は、そうした私たちの幻となった夢を再現してくれたヒーローであり、ヒロインだと思う。だからこそ、4年に1度のオリンピックは、(精神論や根性論を説き、上下関係を重視するといわれる)体育会的発想が嫌いな私でも、ついテレビに夢中になってしまうのだ。


  オリンピックは、日本時間の早朝の閉会式で幕を閉じた。オリンピックを報じる新聞記事で、2つの話が気になった。


  韓国の男子サッカー朴鍾佑パク・チョンウ)選手が日本との3位決定戦に勝った後、島根県竹島に関して「独島は我々の領土」と韓国語で書かれた紙を掲げピッチ走り回った問題と、男子ハンマー投げで銅メダルを獲得した室伏広治選手が、国際オリンピック委員会(IOC)選手委員の選挙に当選したが、選挙の規定に違反した行為があったという理由で当選が取り消しになったというニュースである。


  ネットでも話題になっているのでここではこれ以上は触れないが、国の代表を意識するが故のオリンピック選手の悲喜劇を見ているようで、後味が悪い。