「不器用」「愚直」「ひた向き」。功利主義全盛とも思える時代には合わないが、私はこの言葉のような生き方、仕事ぶりをする人を信頼する。新聞記者にもこうした人はいる。自分の取材テーマを追い続ける3人の記者(うち1人は元記者)の本を読み返し、ひた向きさと同時に心強さを感じた。3人はこの言葉に当てはまるジャーナリストだと思う。苦戦が続く新聞だが、こうした記者たちが日々地道な活動を続けていることに、私は畏敬の思いを抱いている。
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1人は京都新聞の二松浩紀(ふたまつひろき)文化部記者だ。取材で中国残留孤児の女性と出会い、満蒙開拓団やシベリア抑留といった昭和の負の歴史をテーマに取材を続け、長期の連載もした。私は『移民たちの「満州」』(平凡社新書)で二松記者を知った。京都府の教員だった祖父は太平洋戦争末期召集され、沖縄戦で戦死(45年4月)し、「祖母の無念が孫である筆者の心に刻まれた」という。二松記者よりかなり以前に中国残留孤児問題を取材した私にとって、この本は頭が下がるほど丁寧に、愚直に「満州問題」を掘り下げている。「満蒙開拓団の証言に、英雄は出てこない。冒険段もなければ、ハッピーエンドもない。数々の権力に愚弄される民の姿があるだけだ」という言葉は重い。
もう1人は、北海道新聞の酒井聡平記者だ。酒井記者の著書『硫黄島上陸 遊軍ハ地下ニ在リ』(講談社)を読んだのは昨年のことだった。太平洋戦争末期、硫黄島をめぐって日本軍と米軍が死闘を繰り広げた。日本軍は米軍の日本本土への侵攻を遅らせるため、栗林忠道中将司令官のもと約2万3000人の兵士を配置した。
地下壕を掘りめぐらして米軍に抵抗したが、約2万1900人人が戦死し、推計で1万1500柱の遺骨が未送還だという。酒井記者の場合も祖父が硫黄島関係部隊の兵士で、それが硫黄島の未帰還遺骨問題に目を向ける契機になった。酒井記者のすごいのは、遺骨収集団に入るなどさまざまな機会を作り、この島に4回も上陸し、自分の目でなぜ1万人以上の遺骨が見つからないのかという謎を解明しようとしていることだ。
過去を調べ続ける酒井記者は、自身を「旧聞記者」という。だが、新聞記者は物事の真相を求め、隠された不正や謎に迫ることが大きな使命の一つであり、酒井記者の愚直ぶりは新聞記者本来の姿だと、私は思う。酒井記者が憧れたという北海道新聞の名コラムニスト須田禎一は、私も尊敬するジャーナリストだった。
3人目は、元共同通信社会部記者・編集委員のジャーナリスト上野敏彦さんだ。上野さんの著書『沖縄戦と琉球泡盛 百年古酒の誓い』(明石書店)については、このブログで既に取り上げている。私はその中で「沖縄の歴史~沖縄戦を振り返りながら、関係者へのインタビュと多くの資料をもとに様々な角度から泡盛復活について光を当てた労作だ。この本からは、著者の沖縄に対する熱い思いが伝わる。それは何より、苦境に立たされている泡盛に対する強い愛情と言えるのかもしれない」と書いた。第一線記者時代から沖縄に目を向け、沖縄特産の泡盛を通して、沖縄戦の実態を愚直に調べ、足で稼いだといえるこの本に、私は驚嘆した。
朝鮮通信使をはじめとする歴史の謎や災害に遭遇しても懸命に立ち上がる人々に光を当てようとする視座に、揺るぎはない。
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通信社時代の大先輩だった藤田博司氏は『ジャーナリズムよ メディア批評の15年』(新聞通信調査会)の中で、ジャーナリズムの原則として「独立性」「公正であること」「正直、誠実であること」の3つを挙げている。3人の著作はこの原則を守ったうえで、隠された真実を私たち読者に提供してくれている。
2597 無念の思いの人々 ソ連侵攻79年目の夏
2168 憂いと悲しみの酒・泡盛 上野敏彦『沖縄戦と琉球泡盛 百年古酒の誓い』
311 8月(3)名記者からの手紙 病と闘いながら……
498散るぞ悲しき 硫黄島の栗林忠道
1478 戦争写真『硫黄島の星条旗』の謎 太平洋戦争とは何だったのか
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