小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

2527 芥川も「健康」が大事と 「国より金」?の議員たち

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「原稿より健康」。これは現役時代の私たち社会部記者の「合言葉」だった。残業時間が慢性的に月100時間を超えていて、いつも病気になるのではないか、という不安を抱えていた。今、現役時代を振り返ると、よく耐えたものだと思う。同じ意識を作家の芥川龍之介(1892~1927)も持っていた。燦燦と輝く太陽の下、健康のためにと歩き回る芥川を想像するだけで楽しい。
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《文を作るのに欠くべからずものは何よりも創作的情熱である。その又創作的情熱を燃え立たせるのに欠くべからざるものは何よりも或程度の健康である。瑞典(スェーデン)式体操、菜食主義、複方ヂアスタアゼ等を軽んずるのは文を作らんとするものの志ではない》

これは『侏儒(しゅじゅ)の言葉』という芥川の随筆・警句集の中の「作家」というタイトルの文章だ。作家として前段の言葉は必須である。そして、その創作的情熱を支えるのは「ある程度の健康」だというのだ。芥川のイメージは、やせていて健康的とは言えない。自身の健康に自信がないからこそ、健康が大事だと考えていたのだろう。

スウェーデン式体操は、ラジオ体操がまだない時代、日本の学校で行われていた体操だ。19世紀にスウェーデンのリングが考案した徒手体操を中心にした健康体操だ。菜食主義は特に説明は必要ないだろう。ベジタリアンと呼ばれる人は、数多い。複方ヂアスタアゼは消化促進剤のことで、長時間机に向かう作家にとってこれも欠かせないものだったのだろう。

タイトルに使われている「侏儒」は、体の小さい人や知識のない人の蔑称、俳優の異称~だといわれる。芥川はこの随筆集の序で「『侏儒の言葉』は必しもわたしの思想を傳へるものではない。唯わたしの思想の變化を時々窺はせるのに過ぎぬものである。一本の草よりも一すぢの蔓草、――しかもその蔓草は幾すぢも蔓を伸ばしてゐるかも知れない」と書いている。では彼に健康願望はなかったかといえば、そうではないと思う。この随筆集は自死する1927年まで書き続けられたのだが、神経衰弱に悩み続けたからこそ意識の中で健康を願望するこんな文章を書いたのではないかと思われる。









冒頭に「原稿より健康」という言葉を紹介した。では、昨年から問題になっている自民党国会議員による裏金問題は何と言ったらいいのだろう。「国より金」?(国民のこと、国のことよりも金が大事という意味)と言っても、言い過ぎではないと思う。

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写真 1、緑が濃くなったモミジ2、桐の花が咲き始めた3、珍しい黄モクレン4、キンランがひっそり咲いている。


 1909「人生は死に至る戦いになる」かみしめる芥川の言葉



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