
にほんブログ村
確かにそうだ。1945年8月、戦火がやんで以降、日本は戦火とは無縁の時代を送っている。沖縄に米軍基地があってきな臭い動きが続く際どい平和なのだが、一方、世界では第2次大戦以降も紛争・戦争の火種は消えることがない。今もウクライナ、中東では、多くの市民が戦火にさらされ、命を失い続けている。そんな時代を日本で生きてきた実感が、冒頭の言葉なのだろう。とはいえ、この人はもう一言付け加えた。「それにしても、日本人は笑わないね」と。
民俗学者の柳田国男は96年前に「人生には笑ってよいことが誠に多い。しかも今人(こんじん)はまさに笑いに飢えている」(『不幸なる芸術・笑いの本願』岩波文庫)と書いている。ということは、笑わないのは日本人の習性なのだろうか。もちろん、テレビはお笑い芸人によって占拠されているというほど、どのチャンネルも多くのお笑いタレントが出演し、笑いを誘っている。しかし、それを見て心から笑える人はそう多くないのではないか。
「屈託」は、一つのことが気になり心配すること、退屈や疲れで精気を失っていることをいう。心配ごとがなく、元気な様子を「屈託がない」というのだが、そうした顔はあまり見かけない。そこで、少しは笑えるかもしれない話を以下に。平安時代の僧、空海~弘法大師(774~838)にまつわることわざ「弘法も筆の誤り」についてである。
空海は中国から密教の体系を伝え、真言宗を開いた僧で、文章に優れ、達筆でもあり、土木工事にも通じていた。万能の人物として様々な「弘法伝説」がある。能書家として知られた空海は、当時の「三筆」(他の2人は嵯峨天皇と橘逸勢)と呼ばれた。ある時、空海は大内裏(平安宮)の応天門の扁額(建物の門や鳥居など高い位置に掲げられた額)を書くよう勅命を受けた。早速、達筆を振るい、扁額を門に掲げた。だが、よく見ると、「應」(応)の「まだれ」の点が抜けていたのだ。これが、のちにことわざになるゆえんとされる。だが、空海は少しも慌てず、扁額に向けて筆を投げつけ、見事に点を書き加えた~というのだ。(今昔物語集
巻十一の九話)さすが、空海というわけだ。運動神経も抜群だったのだろう。
針でつゝいたより小さい笑ひが
一番遠い星よりももつと小さい笑ひが
浮かんでは消える。
小さな喜びの火がともつては消えるやうだ。
誰か側からつゝいて笑はしてゐるやうだ。
(千家元麿『虹』から「小さな笑ひ」)
こんな自然で可愛い笑いを見たいと思う。しかし、以下のようなロシアによるウクライナへの軍事侵攻の今後に関する文章を読むと、笑うはずの顔がひきつってしまうのだ。
《双方の戦力は拮抗し、戦況は膠着している。どちらかが全面降伏することは考えにくい。停戦後の安全を保証する国際的な方策や枠組みが具体化しない限り、ロシアもウクライナも和平に応じることはないだろう。この戦争の後は、第2次大戦後にできあがった国連を中心とする国際秩序の姿が大きく変貌している可能性が高い。私たちがいま目撃しているのは、古い制度が機能しなくなり新たな安全保障の仕組みが構築されるまでの危険な過渡期である》
《ウクライナ紛争を巡ってロシアの対米不信は決定的になった。米国を『ウソの帝国』と呼ぶロシアが今後国際合意に後ろ向きになるのは確実で、米ロの核軍縮協定『新戦略兵器削減条約』(新START)が2026年に期限切れを迎えた後、世界は2大核保有国の間に戦略核を管理する合意が一切ない、極めて不安定な状況に陥りかねない。ウクライナの前線が朝鮮戦争休戦後の38度線のように固定化し、双方が何十年も軍事的対峙を続ける可能性がある》(『世界』12月号。佐藤親賢・共同通信モスクワ支局長)