どこへ行っても、と書いたが、特に寺の境内にはこの花が本当に多い。梅雨が一休みした昨日と今日、アジサイの寺として知られる2つの寺に花を見に行った。1カ所目は千葉県多古町の日本寺(日蓮宗)だった。鎌倉時代の1319(元応元)年12月1日開基といわれるから、かなりの歴史を持つ寺だ。参道、墓地の周囲には1万株のアジサイが植えられており「アジサイ寺」として知られてきた。また2013年に境内の杉木立の中に「アジサイの道=アジサイの庭園」が開園し、50種類以上の比較的新しい品種が散策路わきに植栽されたという。
私たちが訪れたのは日曜日もあって、アジサイを見ようとする人たちが次々にやってきて、散策路で写真を撮影する姿が目についた。この寺の扁額(建物の門や鳥居など高い位置に掲げられた額)の山号「正東山」は江戸・寛永の三筆の一人といわれる書家、本阿弥光悦(1558~1637)の真筆だそうだ。小さな薬師堂もあり、房総出身の波の彫刻の名人といわれた波の伊八(武志伊八郎信由)の彫刻も見ることができた。
2カ所目は、同じ千葉県市原市の光徳寺だ。日本寺と同様、日蓮宗の寺で、5万本のアジサイで知られる千葉県松戸市の本土寺の9世住職によって室町時代の1460(寛正元)年に創建された古刹である。以前にも書いている通り、光徳寺のアジサイは約1000本だそうだから、数は少ない。この寺の参道には18体の羅漢があり、さらに参道の右手奥に釈迦像を見守るように「五百羅漢像」が埋め尽くしていた。アジサイに囲まれた羅漢たちは、いい表情をしている。月曜日のためか私以外の人影はなく、静寂の中アジサイと五百羅漢の風景を独り占めするという贅沢な時間を送ることができた。
アジサイといえば、萩原朔太郎が少年時代に書いた「こころ」(『純情小曲集』「愛憐詩篇」より)という詩の中にも出てくる。
こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。(以下略)
(ブログ筆者意訳=心を何に譬えよう 紫陽花の花だとすると 桃色に咲く日はあるが 薄紫の思い出ばかりは無益なのだ)
この詩から、何物にも譬えることができない心の虚しさや寂しさが伝わる。朔太郎は、この詩を書いた当時のことを「少年の時から、この長い時日の間、私は環境の中に忍んでゐた。さうして世と人と自然を憎み、いっさいに叛いて行かうあうとする、卓抜なる超俗思想と、叛逆を好む烈しい思惟とが、いつしか私の心の隅に、鼡のやうに巣を食つていつた」(『純情小曲集』「出版に当たって」より)と、書いている。これが、「憂鬱」の詩を書き続けた朔太郎の根本精神なのだろう。
三門を潜り抜けゆく若葉風 (大先輩・戸田健氏の句)