
きょう4月1日はエイプリルフール。嘘をついてもいい日だといわれる。その起源は不明だそうだが、日本では「四月馬鹿」などとも呼ばれる。この世の中、あまりにもひどいことが多すぎて、嘘でもいいから、いいことがないかと思うことが少なくない。嘘と真実の違いが全く分からなくなっている世界の王様気取りの人もいる今日、私は「ある少年」のことがどうしても気になっている。
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カッコを付けたのは、童話の世界の少年だからだ。小川未明の短編『その日から正直になった話』の主人公である。以下は要約。
あるところに気の弱い少年がいた。彼はよくないことと知りつつ、気が弱いために嘘をついていた。その後でいつも後悔していた。それでも病人に対し「前より顔色がいいので直りますよ」とか、友だちには「夕べお化けを見たよ」などという、人を笑わせたり喜ばせたりするために嘘をつき続け、その癖を直すことができない。だが、みんなはそれが嘘と分かると、少年を信用しなくなった。
ある夏の日のこと。少年は学校から帰ると外に遊びに出て村外れに行くと、男の旅人が石の上に腰かけて休んでいた。煙草を吸おうとしてマッチがないという旅人に、少年は「マッチを持ってきてあげるよ」と約束し、取りに帰る。途中、友達の家に行くが、目の悪いおばあさんがマッチを水で濡らして駄目にしてしまったといい、借りることができない。
少年はさらに自宅にまで走り、マッチを握って旅人の待つところに戻った。しかし、既に旅人は出発した後で、そこには「遅くなるから出かけますよ。坊ちゃんのご親切をありがたく思います。旅人より」と書いた紙きれが残っていた。
少年はその文字を見て、旅人が少年のマッチを持ってきてあげるという話を嘘と思わなかったばかりか、深く感謝していたことに気が付いた。少年は感動し、決して嘘を言わないと誓い、それから正直な子どもになった。
イソップ寓話の『オオカミ少年』同様、教訓めいた童話だ。少年と似たような思い出はそれぞれの人にあるかもしれない。たしかに、時と場合によっては嘘を言った方がいいこともあるだろう。だが、1つの嘘をつくと、さらに積みが重なることもあり得る。基本は嘘がまかり通る世の中は正常ではない。
近年使われるようになった「フェイク」(fake)は、偽やまやかしのことを指す。これも嘘(lie)と同義語だ。萩原朔太郎は「「詩は本当のことを嘘のように作るものだ」と述べている。一方、駆け引きが多い政治の世界では、プロパガンダとして「嘘のことを本当のように主張する」人間や政府も存在するといっても過言ではないだろう。嘘のない世界は夢物語なのだろうか。


昨夜の強風でも桜は散らなかった
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