小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

ゴッホ の検索結果:

3075 麦秋は好きな季節 ゴッホの絵と美瑛の丘の風景

…染まった広大な麦畑、ゴッホの強い生命力を感じる風景画、風に揺れる重く実った麦の穂……。旧暦七十二侯の「麦秋至(むぎのとき いたる)」のころだ。今、都市部で畑の麦を見る機会はほとんどない。麦秋と聞いても、ピンとこない子どもたちが多いはずだ。それに対し、私は小さいころから麦畑は見慣れていて、麦秋は好きな季節といっていい。 …………………………………………………………… クレヨンの黄を麦秋のために折る 林桂 クレヨンを使って麦秋の風景を一生懸命に描いている子どもがいる。特に麦の黄色…

3035 永久の別れの前に 人には言葉が……

…相手と出会う。だが、ゴッホがゴーギャンと決別したように、別れの時が来ることもある。のちに、それが人生を生きる上での蓄積となる場合もあるし、悔恨の思いに打ちひしがれることもある。人はそれぞれに苦楽の思い出があるから、文学が成り立つのだと思う。 「対立が起き、敵と味方ができる」は、人類の歴史にとってはいつの時代でも起きる「負の側面」であるとともに、人間の本性を具現している。その象徴は戦争といっていい。近世でも2次にわたる世界大戦を引き起こし、2つの大戦を合わせると、7700万人~…

3028 少なくない「悲しむ老人」 ゴッホの絵と現代社会

…ィンセント・ファン・ゴッホ(1853―90)の「悲しむ老人」(「永遠の門にて」)という作品だ。椅子に腰かけ、両手で顔を覆った老人。涙を流しているに違いない。この絵を見ていると、世の中の老人たちの不幸全部をこの絵の老人が背負っているような印象さえ受けてしまう。春なのだから、高齢者たちの悲しみが少しは薄らいでほしいと思うのは無理なのか。 ……………………………………………………………………… この絵は、ゴッホがフランス・サン=レミ時代の1890年5月に描いた。8年前のオランダ時代…

2987 21世紀は「分断」と「難民」の世紀か 叶わぬ望郷への思い

…売れなかったファン・ゴッホとよく似た境遇といえる。 亡命者や難民は自身の国・故郷を奪われることであり、それゆえはかり知れない望郷への思いがあるだろう。だが、それがかなわぬ夢だとしたら、何とも虚しくつらいのは言うまでもない。上述の2人とともに悲劇の人であるロシア出身の女性詩人マリーナ・ツヴェターエワ(1892―1941)の詩『望郷』は、そうした心情を表現したものだ。 ツヴェターエワはロシア革命(1917年)時にモスクワからチェコを経てパリに亡命、帰国後疎開先の農家で自殺するとい…

2935 あなたの好きな画家は? モネかゴッホかあるいは……

…一番人気だった。私はゴッホが断トツと思っていたので、この結果は少し意外だった。あなたはどうですか……。 ……………………………………………………………… ランキングのトップ5は次の順だ。 クロード・モネ レオナルド・ダ・ヴィンチ フィンセント・ファン•ゴッホ ヨハネス・フェルメール パブロ・ピカソ 私はゴッホがトップで、それにフェルメール、ピカソが続くと思っていた。絵画を含めた美術や文学など芸術に関して、人はそれぞれに自分の好みがある。ただ、ここで名前が出た画家は多くの人の支…

2915 ユトリロの「白の時代」に浸る ゴッホの『ひまわり』も見る

…ィンセント・ファン・ゴッホ(1853―1890)ではないだろうか。生きた時代は200年ほどの違いがあり、作風も異なる。ただこの2人の絵画展には多くの人が集まり、現在、東京都美術館で企画展が開かれているゴッホ展に行った知人は、あまりの人の多さに辟易したと、連絡してきた。2人ほどではないと思われるが、モーリス・ユトリロ(1883—1955)も日本人に愛される画家かもしれない。新宿のSONPO美術館で開催中のユトリロ展を見た。入館者はそれほどでなく、ゆったりとユトリロの世界に浸るこ…

2909 ゴッホの絵を思う光景 「夕焼け写真特集」

…日)の夕焼け 秋夕焼ゴッホのいろを絞りきる 土濃塚古銭 ゴッホの絵といえば、大胆な色彩と細かな筆遣いが特徴といわれます。さまざまな色の絵の具を絞り切ったように西の空に展開する秋の夕焼け。それはゴッホの絵のような風景といっていいのかもしれません。夕焼けといえば、俳句でも夏の季語であるように、夏の夕焼けが最も鮮やかで大きいといわれています。歳時記には、夏に比べ秋の夕焼けは色も淡く、時間的にも短く寂しい、と書かれています。秋から冬への向かう季節です。昨日の夕焼けは色も濃く、極めて美…

2871 水産学から美の世界に 孤高の画家高島野十郎

…で絵の勉強を続ける。ゴッホも高島が尊敬した画家の一人だ。 高島は風景画、静物画を中心に写実性を追求し『蝋燭』や『月』を好んでテーマにした。細部まで丁寧に描いた筆致は、画家の対象に対する向き合い方が伝わる。まるで画家と対象物が「対話」をしていると、様々な絵を私は見て思った。作品に柏周辺の個人蔵が多いのは、この画家を周囲の人たちが大事にし支援したことを物語っている。 高島がこの世を去ったのは、1975(昭和50)年9月17日だった。来週で没後50年になる。これだけの絵がありながら…

2854 絵画に劣らない言葉の芸術 石垣りん「不出来な絵」

…い」 フィンセント・ゴッホが弟テオに出した手紙(岩波文庫『ゴッホの手紙 上』(30)に、こんな哲学的内容のものがある。ゴッホは何を言いたかったのだろうか。絵画を通じての伝達と言葉を通じての伝達。芸術の奥の深さ。人はそれぞれの方法で芸術を見、理解する。それが人間性を高める。 …………………………………………………… 言葉の芸術といえば、その筆頭は文学作品かもしれない。フィクション、ノンフィクション、詩、エッセイのほか日本独自の短歌と俳句。例えば、こんな詩もある。 この絵を貴方に…

2842 海は平和と修羅場 ゴッホの海景からの独言

…があるフィンセント・ゴッホ(1853—1890)の「サント=マリー=ド=ラ=メールの海景」は、確かに涼を感じ、印象に残る作品だった。フランスの海景色を描きながら、ゴッホは何を考えていたのだろう。 ………………………………………………………………………… サント=マリー=ド=ラ=メールは、フランス・アルル郡にある海辺のリゾート地。ゴッホは1888年の5月末から6月初めにかけて、海と漁師を観察するためこの村を訪問、6月にこの絵を描いた。青と緑色が中心の絵は、手前に白い波頭、遠景に…

2826「朋遠方より来たる」 友人たちから教わる生き方

…説『俺だけを愛していると言ってくれ』 一時代を駆け抜けた男への挽歌 2128 母と娘の凄絶な親子関係 菅野ゆきえ著『逢ひたいと逢ってはならぬ狭間にて』 1649 病床で見たゴッホの原色の風景 友人の骨髄移植体験記 2154 命をつなぐ歌声を聴く 白血病発病から10年の友人 ご愛読ありがとうございます。 読み終え気に入りましたらたら、下のバナーをクリックしてください にほんブログ村 ランキング参加中 言葉を紡ぐ人たち ランキング参加中 トラベラーズノート ランキング参加中 社会

2769 人と時代の営みを叙事詩に 高橋郁男著『風信』を読む

…社気付 電話03-5944-3258 ご愛読ありがとうございます。 読み終え気に入りましたらたら、下をクリックしてください。 にほんブログ村 関連ブログ↓ 『風信』関連 1424 「詩とは何か」 詩論『詩のオデュッセイア―』が最終回 1102 書き記す者の務め 高橋郁男著『渚と修羅』を読む] 1600 世界的画家の心情 ピカソとゴッホを描いた原田マハ 2528 「神出鬼没」「詩人」「ひた向き」と 3人の先輩と私 1974 広辞苑で学問のさびしさ知らず 歌集『わが定数歌』を読む

2679 禍(わざわい)を転じて マティスは法律から絵の世界へ

…師事し、後期印象派のゴッホやゴーギャンの強い影響を受けつつ、「大胆な色彩」という独自の表現を見い出し、フォーヴィスム=野獣派といわれる画家たちのリーダー的存在となる。 《緑のすじのあるマティス夫人の肖像》(1905年)、《ダンス》(1909年)といった作品はよく知られている。これ以降は静かな作品へと画風は変わる。《ザクロのある静物》は1947年に描かれた室内画だ。この後、ニース市から市のポスター制作を依頼された彼は、図柄にこの絵を使い、「Nice Travail &Joie」…

2606 ヒマワリよ高く 命の輝きと平和の象徴

…951) この歌は、ゴッホの代表作「ひまわり」の絵に触発されてつくったといわれる。ヒマワリが最盛期を迎えている。私は毎年夏になると、なぜかこの花を求めて、周辺を歩き回る。家族もそのことを覚えていて、必ずヒマワリ探しに付き合う。群生している花を見つけると、力をもらったように感じ、夏バテも解消する。ヒマワリの黄色は命の輝きと平和の象徴のように見えるのだ。 ……………………………………………………………… 前田の歌は「金色の油のような太陽の光を浴びて、ヒマワリの花が高い所にゆらりと…

2550 スペインのヒマワリ畑とゴヤの絵 梅雨とは無縁の明るい風景

…レンダーのスペイン、ゴッホが住んだ南フランス、もちろん日本でも夏の風物詩として、ヒマワリ畑は欠かせない。 向日葵の百人力の黄なりけり(加藤静夫) ロシアとの戦いに苦戦するウクライ。この国には映画『ひまわり』でも知られるように、ヒマワリが数多く栽培されている。理不尽なロシアの攻撃に対しおびただしい黄色の花たちが百人力で応援しているに違いない。そんなことを想像させる句だ。 ゴヤの作品は1777年に描かれた。31歳の時の作品だ。スペインの王宮、エル・バルド宮内の王太子夫妻の食堂に掛…

2546 鮮やかな麦秋の風景 想像の世界のノスタルジア

…や季語として使われ、ゴッホの絵でもよく知られている。だが、北海道の美瑛など小麦栽培が顕著な地域を除き、全国的に小麦や麦の生産は多くはなく、麦が実る風景を見た子どもたちは少ないのではないか。だから「麦秋」という言葉を習っても、ピンとこないかもしれない。 この言葉を聞いて、小津安二郎の同名の映画を思い出す人もいるだろう。原節子、笠智衆、淡島千景、三宅邦子ら出演した名作だ。そのラストシーンに大和路の「麦秋」の風景が出てくる。映画はモノクロだ。だが、そんな映像から、私は麦が実った黄金…

2541 よい季節は短く・いやな季節は長い 「桜狩り紀行」で想像の旅

…色でまさに〈向日葵のゴッホの黄色〉の画布の如くだ。龍泉寺そばにも桜の大木。頂上の石垣下にも桜が点在。黄色の海に桜花が浮かぶ構図。 5、本宮市・塩ノ崎大桜=緩い坂の左手上に桜が見えてきた。上りきると看板。その奥に背の高い円錐形の大樹が天空に伸びている。観桜者はそれほど多くなく、ゆっくり観賞できるのがうれしい。樹齢600年、根元に十数個の墓石。昔の桜守りだった人たちか。 6、三春町・滝桜=二本松と三春は犬猿関係にあった。戊辰戦争を前に同盟関係にあったはずの三春は迫って来る官軍にあ…

2525 ゴッホの絵と平和の象徴  見たい木は「イトスギ」

…は、何といってもあのゴッホ(1853~1890)の絵にイトスギの風景が描かれているからだ。 ゴッホといえば、「ヒマワリ」が有名だが、途中からヒマワリはやめ、イトスギを描くようになる。その代表的作品として《星月夜》《夜のプロヴァンスの田舎道》《イトスギのある麦畑》がよく知られている。ゴッホがイトスギを描いたのはパリからアルルに移った1888年からで、亡くなる1890年までに65点の作品に登場するという。 ゴッホはイトスギをどう思っていたのか。イトスギの緑や暗緑色に魅了され、ヒマ…

2518 濃霧に際立つ桜 富太郎の言葉に頭下げ

…だけなのです。画家のゴッホは、自然界の姿をさまざまな絵に描きました。彼は「人の心を高揚させ、慰めてくれる自然をつくりだしたい」(友人エミール・ベルナール宛の手紙)と心掛けていたそうです。霧に包まれた中で、桜が浮き立つ今朝の散歩コースの光景は、私の心を高揚させ、慰めてくれたといえるようです。 …………………………………………………………… 私はこの街に住んで数十年になり、近所の調整池を回る遊歩道を散歩するのを日課にしています。四季折々の自然を楽しみながら歩いているのですが、桜の…

2450 混沌から平穏な時代へと願う ピカソの作品とともに

…! 午後4時10分、石川県輪島地方を震源とするM7.6、最大震度7の大地震が発生しました。正月早々、災害に見舞われた皆様の無事と大災害にならないことを願っています。 (イチゴの木の花と実) (散歩コースの初日の出) 2064 国連から消えた『ゲルニカ』タペストリー パウエル演説と暗幕 1600 世界的画家の心情 ピカソとゴッホを描いた原田マハ 1597「ゲルニカは巨大な錯覚の集合体」なのか? シャガール作品と既視感 515 巨匠の国は落書き天国 スペイン・ポルトガルの旅(2)

2360 夾竹桃と百日紅の季節 核廃絶と平和願う歌にも

…いっていい。 画家のゴッホはヒマワリのほかキョウチクトウが好きで、アルル時代の1888年には《夾竹桃と本のある静物》(夾竹桃の脇に置かれている本は、エミール・ゾラの小説『生きる歓び』だ)という絵を描いた。緑色の壁を背景に花瓶に入った紅色のキョウチクトウの花と生い茂った緑の葉が生き生きと描かれている。日本の浮世絵の影響を受けたといわれる、明るくて大胆な色彩の作品からは、ゴッホが2年後に自死することは想像できない。キョウチクトウは、やはり明るさが似合う花なのだ。もちろん、サルスベ…

2322 「アイリス」が語る自然への讃歌 「魂の表現」の芸術

…。この花を見ていて、ゴッホが病気療養中に描いた『アイリス』を思い浮かべた。アヤメは水場に咲いている。一方、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890)のアイリスは茶色の地面から勢いよく咲いていて生命力を見せている。日本は雨の季節。ゴッホがこの絵を描いたフランス(サン・ミレ)は5月(1889年)で過ごしやすい季節だった。だが、ゴッホは心の病に侵され、この世との別れが近づいていた。 ……………………………………………………………… だからゴッホは、完成した絵を「病気の避雷針…

2312 クライマックスは「雨ニモマケズ」映画『銀河鉄道の父』

…。オランダ出身の画家ゴッホが生前、一枚の絵も売れなかったのに死後世界的な人気画家になったのと同様、賢治も死後急速に知られる存在となった。 夢を追い続けた賢治を支えたのは、父親の政次郎だったことは言うまでもないだろう。父と息子の関係はなかなか難しい。政次郎と賢治の間にも様々な葛藤があったに違いない。それでも政次郎という理解者がいたからこそ、賢治の才能が開花したのではないか。最後に映画の感想を一言。主演の役所の演技は圧巻だった。賢治役の菅田にも好感を持った。祖父喜助役の 田中泯も…

2302 朝寝坊はもったいない! 自然に接する季節

…ルに一時住んだ画家のゴッホは1888年3月下旬から約1カ月をかけて『花咲く木々』のシリーズに取り組み、14点の油彩と2点の素描を描いた。「人の心を高揚させ、慰めてくれる自然」を自身の絵で表現したかったのだという。代表的作品として「糸杉に囲まれた果樹園」(クレラー=ミュラー美術館所蔵)があるが、糸杉を背景に桃と洋梨とみられる白い花が咲く果樹園の風景は、自然の躍動を感じさせる一枚だ。 冒頭に書いたように、自然に接することが多い私は、朝寝坊をしたことがない。今頃の季節には「春眠暁を…

2267 天才画家エゴン・シーレもまた ウイルスは容赦ない

…く描いたのだそうだ。ゴッホを敬愛し、ひまわりの絵も描いた。(ただ、シーレのひまわりは、ゴッホの絵に比し、生命力が感じられない) シーレはヴァリーが死んだ翌年の1918年、華々しい年を迎える。著名な美術館で開催された美術展に出品し、売れっ子の画家となる。しかも、妻のエーディトが妊娠し、その喜びから、自分と妻とまだ生まれぬ子どもの3人を描いた大作の『家族』という作品を制作した。だが、彼の人生はこの年に突然閉じてしまうのだ。この年の初めから流行したにインフルエンザA型(H1N1型)…

2226 遥かなるマチュピチュ 霧の朝の幻想

…があり、美しいとはきれい、きたないという分類には入らないと主張し「ゴッホは美しい、しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかしけっしてきれいではない」(同書。要約)というのだ。さて、では今朝私が見た光景はどちらの範疇に入るのか。美しくもあり、きれいでもあるから、悩ましい。 ご愛読ありがとうございます。 読み終え気に入りましたらたら、下のバナーをクリックしてください にほんブログ村 ランキング参加中 言葉を紡ぐ人たち ランキング参加中 トラベラーズノート ランキング参加中 社会

2215 現代人を励ます名曲を聴く 横浜・イギリス館のミニ・コンサート

『ユー・レイズ・ミー・アップ』( You Raise me Up)というアイルランドの歌がある。日本語にすると「あなたが私に力をくれる」という意味で、歌を聴いていると「あなたが支えてくれるから私は強くなれる」と解釈できる。タイトル通り、歌詞もメロディーも心に染みる歌だ。21世紀も既に5分の1の時が過ぎている。戦争の世紀といわれた20世紀とは無縁であってほしいとだれもが思った。しかし、ここで書くまでもなく、現実は生易しいものではない。だからこそ、このような歌を聴きたくなるのだ。

2210『ひまわり』受難で考える文化 驚くゴッホ?

…館で14日、展示中のゴッホ(1853~90)の『ひまわり』に環境団体「ジャスト・ストップ・オイル」のメンバーの女性2人が缶詰のトマトスープを投げつける事件が起きた。絵画はガラスで覆われており損傷はなかった。多くの感想は「あのような名画に何をするのだ」という怒りの声だったようだ。イスラム過激派組織「イスラム国」がシリアの世界遺産・パルミラ遺跡を破壊したことも忘れることができない。私は今回のニュースを見て、文化とは何かを考えざるを得なかった。 …………………………………………………

2154 命をつなぐ歌声を聴く 白血病発病から10年の友人

…1649 病床で見たゴッホの原色の風景 友人の骨髄移植体験記参照)でも書いている。九死に一生を得た小野さんは、この後自分が何をできるかを考えた。そして、音楽家とボランティアが協力して闘病中の患者の支援、骨髄バンクドナー登録の啓発を目的とする「横浜プレガンド音心」(プレガンドは、イタリア語で「祈るように」という意味)をつくり、奮闘している。 今回の出演者はピアノ伴奏の河崎恵さん、テノールの富澤祥行さん、ソプラノとヴァイオリンの小野さんの3人で、聴衆は約20人という小さなコンサー…

2144 空に向かう花との対話 トチノキの季節に

…。興味といえば画家のゴッホがあなたと似ている(近縁種)マロニエ(セイヨウトチノキ)をテーマに『花咲くマロニエの木』と『花咲くマロニエの枝』という2枚の絵を描いています。この絵は1890年5月に描かれたゴッホの最晩年の作品です。南仏アルルでの友人ゴーギャンとの共同生活が破綻して精神を病んだゴッホは、自分の左耳の下部を切り取る事件を起こし、サン=レミの療養所に入りました。さらにパリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズに移り住み、そこで村の美しい風景に出会ったのです。マロニエもその一…