2090 新年の九十九里を歩く 古刹には名言の碑
『鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ』。仏教詩人といわれる坂村真民の詩の一節だ。コロナ禍で人の命は軽くなっている。そうした現代に生きる私たちを励ますような詩碑が古刹の一角にあった。「浜の七福神」といわれる七福神巡りのコースが千葉県の九十九里にあることを知り、出かけてみた。2日朝。最低気温は氷点下1度。ラジオ体操参加者は11人と少ない。日差しが出るのが遅くて、温暖なはずの九十九里地方も結構寒い。
このコースがどのようないわれで設定されたかは知らない。目指した7つの寺社は清泰寺(長生村・弁財天)~真光寺(白子町・毘沙門天)~観明寺(一宮町・福禄寿)~要行寺(大網白里市・寿老人)~八坂神社(九十九里町・恵比寿)~五所神社(山武市・大黒天)~四社神社(横芝光町・布袋尊)。車を利用して全部回り終えるには3時間以上を要した。初めて訪れたのだが、コロナ禍の影響か、どの寺社も人影は少なかった。
このうち五所神社は、1171年(高倉天皇当時の承安元年)創建という伝統ある神社。源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡を征伐した戦い(1189・文治5)の後、凱旋途中に立ち寄り、武運長久を感謝し兵を休息させた言い伝えが、入り口の案内に書かれている。坂村の詩碑は天台宗の観明寺(創建734・天平6の古刹)に建っていた。こちらの方が五社神社よりもかなり歴史が古い。坂村は仏教詩人といわれるだけあって、詩碑は全国の他の寺にもあるそうだ。観明寺には『念ずれば花ひらく』という坂村の別の詩碑もあり、2つの詩碑は多くの寺で目にすることができるようだ。仏教詩人という分野があるのかどうかは別にして、宮沢賢治、相田みつを、坂村の3人をこのような呼称をする場合もあるらしい。坂村の詩は、人生についての名言として採用されたのだろうか。
観明寺のある一宮町には芥川龍之介が大正3年夏と5年夏の2回にわたって滞在、この町で初恋を経験した。芥川は一宮の思い出をいくつかの作品に書き、ホテル一宮館の一隅には芥川の文学碑が残っている。以前立ち寄ったことがあり、今回は割愛した。『野菊の墓』の伊藤佐千夫は五所神社のある山武市の生まれだ。同市の蓮沼では、児童文学作家の北川千代(1894~1965)が晩年を過ごした。63の作品のうち33作は蓮沼で書いたそうで、道の駅「オライ蓮沼」の一角には原稿など北川ゆかりの資料が展示されている。このコーナーの後ろでは初売りの抽選会があって、にぎやかな声が響いていた。
「ほら太東岬と銚子の犬吠埼との間に、九十九里浜っていうのがあるだろう。僕のきた村はその長い海岸のちょうどまん中ごろなんだよ。この村は海に面しているけれども、漁をしているのは浜ぞいの方の人たちだけで、あとはたいてお百姓だ。いまはもう春で、地引もそろそろはじまるから元気づくだろう」(『村のたより』から)。北川は短い文章で九十九里を的確に表した。九十九里は文学者にも愛された土地だった。
(一宮町・観明寺山門)
(観明寺の福禄寿)
(坂村真民の詩碑・観明寺)
(道の駅「オライ蓮沼」に展示された北川千代ゆかりの資料)
※注『鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ』の詩の全文
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
怒濤の海を
飛びゆく鳥のように
混沌の世を
生きねばならぬ
鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを
知っている
そのように人も
一寸先は
闇ではなく
光であることを
知らねばならぬ
新しい年を迎えた日の朝
わたしに与えられた命題
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ