小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2086 混乱期を生きる母と娘 かくたえいこ『さち子のゆびきりげんまん』

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 昭和から平成を経て令和になり、昭和は遠くなる一方だ。日中戦争、太平洋戦争という戦争の時代だった昭和。そして、敗戦。70数年前の人々はどんな生活を送っていたのだろう。かくたえいこ(角田栄子)さんの児童向けの本『さち子のゆびきりげんまん』(文芸社)は、混迷の時代に生きた母と娘の姿が詩情豊かに描かれている。どんなに貧しくとも前を向いて歩む母と娘。「ゆびきりげんまん」はどんな意味が込められているのか。

 物語の舞台は昭和20年代の栃木県の農村。小学校入学が1年後に迫ったさち子は、お母ちゃんとともに足利市の家を出てお母ちゃんの実家(農家)がある豊郷村(川俣)に戻り、2人で生活を始める。「キンカン」「柿の実」「雪の日」「ゆびきりげんまん」の4つの章から成る物語はさち子の成長の記録であると同時に、お母ちゃんと娘の愛情物語でもある。

 以下、簡単に各章の内容を記すと――。

 さち子はある朝、家の門のそばにあるキンカンの小さな実がなっているのを見つけ、その実をズボンのポケットにしまう。それからお母ちゃんに大好きなものを入るだけリュックに入れるように言われ、お母ちゃんとともに家を離れて足利駅から省線(現在のJR、旧国鉄両毛線)に乗る。それが父との別れだった。お母ちゃんはだれもいなくなった実家に戻ることをさち子に話し、さち子は汽車の中で廊下のガラス越しに見送る父親を思い出し、ポケットのキンカンをそっと握るのだった。(「キンカン」)。

 小山で東北線に乗り換えたお母ちゃんとさち子は、汽車が混んでいるため通路に新聞紙を敷いて座り、宇都宮で下車する。2人は駅前のラーメン屋で1杯のラーメンを食べ、木炭バスに乗り海道新田というバス停で降りる。近くにはタバコ屋を営むお母ちゃんの叔父の家があり、挨拶に寄ったお母ちゃんに叔父はリヤカーを貸してくれる。さち子はお母ちゃんがひくリヤカーの荷台に乗って川俣へと向かう。到着した所には雑草が生い茂り、土壁が崩れかけた小さな家があった。それがお母ちゃんの生まれた家だった。家の周りには橙色の実がたくさんなっている大きな木が何本もある。それはさち子が初めて見る柿の木だった。(「柿の実」)

 さち子は小学1年生になった。村にやってきて2度目の冬のある日、雪がかなり降っている。さち子は校庭で雪ウサギを作って遊んだ。お弁当を食べ終え、下校時間になっても雪はやまなかった。大人がいっぱい迎えにきているが、お母ちゃんは来ていない。同じクラスのさなえちゃんという体の弱い女の子は、お父さんらしい男の人に背負われて帰っていく。さち子は数人の男の子の後を歩き、男の子たちがいなくなると、大またでやってきたおじさんの後ろを懸命に歩いた。おじさんがいなくなると、吹雪になった。さち子は向こうからやってきた荷馬車をよけようとして土手下に落ち、雪だまりの中に入り込んでしまった。必死に這い上がったさち子は吹雪の中を一歩、一歩お母ちゃんが待つ集落を目指す。(「雪の日」)

 3年生の始業式の日。さち子は隣の席のたみちゃんと一緒に下校する。足利から豊郷にやってきたさち子には、それまで仲のいい友達はできなかった。たみちゃんは同じ集落の同級生で3年生になってから隣の席に座った。2人は初めておしゃべりをし、一緒に帰ることになった。帰り道、2人は家に帰った後、子どもたちの遊び場である神社で遊ぶ約束をし「ゆびきりげんまん」をする。だが、さち子が家に帰ると、お母ちゃんはジャガイモの種の植え付けを手伝うよう言いつける。さち子が仕方なくお母ちゃんと一緒に畑に向かう途中、神社のそばを通ると、赤ちゃんを背負ったたみちゃんがいたが、さち子は何も言わず、畑に行く。ジャガイモの植え付けは順調に終わり、その帰り道、さち子はお母ちゃんに、たみちゃんと遊ぶ約束を破ったことを話した。

 この後、お母ちゃんとさち子はどのような行動をとっただろう。その結末は爽やかだ。(「ゆびきりげんまん」)

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 さち子の母は父と結婚して足利に住んでいた。さち子は1944(昭和19)年生まれで、上に兄3人がいた。母はさち子が生まれると、小学校の先生をやめていた。豊郷の実家を継いでいた弟が病気で亡くなると、跡を継ぐ人がなく、このままでは借金のかたに家や田畑が取られてしまうといって、父の反対を押し切って実家に戻り、農家になったのだ。

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 今にも崩れ落ちそうな家に戻った母と娘。農家の出身とはいえ、小学校の教師だった女性が農業で生計を立てるのは容易なことではないはずだ。だが、さち子の母はそうした困難に向かって挑んでいく。この物語は敗戦によって日本全体が混迷・混乱していた時代に生きる母と娘の姿を通じて、現代のコロナ禍に生きる私たちに明日への希望を持つことの大切さを教えてくれるのだ。

 私もこの作者と同じ時代を歩んだ。母は父が戦死した後、末っ子の私を含め5人の子どもを育ててくれた。この本を読み終えて、私は気丈だった母とさち子のお母ちゃんが二重写しとなり、「ゆびきりげんまん」の後も2人が懸命に、力強く生きてほしいと願った。

 今年は戦後76年になる。明治から大正、昭和の時代を担った私たちの親の世代はほとんどがこの世にはいないから、戦時中から戦後の苦しい時代を語ってくれる人は少なくなった。そうした世代から引き継いだ市井の人の日常生活を、かくたさんは流れるような平易な文章でまとめた。長い教員生活で培った、人を大事にする精神がこの物語に生かされている。コロナ禍で閉塞感が強いこのごろ、そうしたうっとうしさを振り払ってくれる心洗われる一冊といえる。