小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2055 相次ぐマスク着用めぐるトラブル 文明人の勇気とは

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 マスクをめぐるトラブルが内外で相次いでいる。中でもドイツの殺人事件は、多岐にわたるコロナ禍の負の歴史でも特殊な位置を占めるだろう。いつの時代でも、決まり事を守ることができない人はいる。極論すれば、国が決めたことを絶対に守らせようとするのは全体主義国家だ。一方、民主主義は多くのへそ曲がりの人たちの主張もはねつけない社会だ。とはいえ、自分の曲がったへそが正しいと思い込んでいる輩があまりにも多いのも現実だ。それをコロナ禍の現代は教えてくれる。

 ドイツからの報道(AFP)によると、マスク着用をめぐって、概略以下のような殺人事件が起きたという。

《8月19日夜、ドイツ西部イダーオーバーシュタインのガソリンスタンドで、ビールを買おうとした際にマスク着用を求められ逆上した客が、20歳の店員を拳銃で射殺する事件があり、国内で衝撃と憤りの声が広がっている。この事件は、ガソリンスタンドのレジ係のアルバイト学生が、国内の全商店で義務付けられているマスク着用を客の男に求めたところ口論となった。男はいったんガソリンスタンドから立ち去ったが、1時間半後にマスクをして再び来店。ビールをレジに持っていった際にマスクを外したことから再び店員と口論になり、持っていたピストルで店員の頭を撃ち、店員は死亡した。男は49歳のドイツ人といわれ、翌日、警察に出頭して逮捕された。男は「政府の新型コロナウイルス対策に追い詰められていると感じている。自分が持つ権利の侵害も強まっており、他に解決策がなかった」と供述した》

 昨年のブログでも書いているが、作家で文藝春秋の創設者、菊池寛(1888~1948)は短編小説の『マスク』(文春文庫)の中で、マスク着用の心理について以下のように描写している。

「病気を怖れないで、伝染の危険を冒すなどと云うことは、それは野蛮人の勇気だよ。病気を怖れて伝染の危険を絶対に避けると云う方が、文明人の勇気だよ。誰も、もうマスクを掛けて居ないときに、マスクを掛けて居るのは変なものだよ。それは臆病でなくして、文明人の勇気だと思うよ」

 これは、スペイン風邪が猛威を振るった当時をテーマにした作品だが、菊池寛の考え方はコロナ禍の現代にも共通するのではないか。マスクを着用するかしないか、どちらが文明人の勇気であり野蛮人の勇気なのかは言うまでもない。

 コロナ禍の時代でも季節は確実に移ろいを見せてくれる。日本列島は新米の季節。友人からメッセージを通じて動画と何枚かの写真が届いた。刈り入れを終えた田んぼの向こうに見える鳥海山の写真もある。この風景を見ていたら、最近のニュースを聞いて感じた鬱憤は消えた。自然が美しい季節が近づいていることを友人の写真で気が付いた。

 写真 山形から送られてきた収穫の風景(板垣光昭氏撮影)

 

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