小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2030 濃霧の中に浮かぶ白虹 人々励ます自然の演出

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 私の散歩コース、調整池を回る遊歩道は、濃霧に包まれていた。今朝6時前。途中で引き返す人もいる。この道はよく知っているから、霧の中、歩を進めると南西の方角の空に、曲線の模様が浮かんできた。灰色の模様は次第にアーチ状になっていく。虹だった。これまでさまざまな虹を見てきたが、濃霧の中での灰色に近い虹を見たのは初めてだった。

 慌てて調整池を見渡すことができる高台の歩道まで駆け上がり、スマートフォンでこの風景の撮影を始める。下の遊歩道では私と同年配と思われる男性が、スマートフォンを持って必死に走っている。「あの人も虹を発見したな」と思った。それにしてもすごい勢いだ。男性は私がかつて大けがをしたことがある、斜面を上がってくる。虹の撮影には、やはり私がいる場所がいいと判断したようだ。でも、その斜面は危険なのだ。

 ハラハラしながら見ていると男性は足を滑らせることもなく、何とか高台まで到達した。「そこはぬかるんでいて危ないですよ。私は以前、夕焼けを撮影していて大けがをしたことがあるんですよ」注意を促したが、彼は上の空だ。「ああそうですか」といって、スマートフォンを虹の方向に向け、撮影を始める。私はこの人と離れた場所に移り、シャッターを押し続けた。ここでは前日も美しい夕焼けを見た。そして、この濃霧と灰色に近い虹……。全く予想もしなかった自然の演出に嬉しくなった。

 10分ほど虹を見ていた。次第に後方の東の空が明るさを増してくる。虹の色は薄くなっていく。そして霧が晴れると、虹も姿を消した。「虹立つも消ゆるも音を立てずして」(山口波津女)の句のように、虹という自然現象は音を立てないから、南西の空のアーチに気付かず、黙々と歩いている人もいる。

「虹は幸運の前兆」といわれるそうだ。朝のラジオ体操の前に虹を見たことを話すと、仲間の一人が「きっといいことがありますよ」と言っていた。辞書を引くと「虹」の字のうち虫はヘビのことで、つくりの工は貫くという意味だと出ていた。それゆえに、虹は天空を貫くヘビを表しているから、不吉なものの象徴と言った時代もあった。

 だが、近代はその美しさもあって、幸運がやってくる前兆だとして歓迎されるようになったという。コロナ禍が続く暗い時代。後ろ向きに捉えるより、希望をもたらす現象と思った方がいいに決まっている。そうだ、今朝の虹は、不安な日々を送る私たちを励ましているに違いない……。

 この写真を見た、大先輩から「白虹ではないか」と教えられた。調整池から出た虹は白色(あるいは灰色)以外の色はほどんどないので、白虹といっていいだろう。虹は通常、太陽の光が空気中の水滴(雨など)に反射して発生するもので、7色だ。一方、太陽の光が霧に反射して見られる現象を「白虹」という。朝の白虹は晴天になることのサインだそうで、この後私の住む街周辺は澄んだ青空が広がり、暑くなった。

 

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 1592 夕焼け断章 暗くなるまで見ていたい

 1832 季節は秋から冬へ ラガーの勝ち歌みじかけれ(横山白虹の俳句関連記事)