小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2029『星の王子さま』作者の鮮烈な生き方 佐藤賢一『最終飛行』

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 アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1900~1944)といえば『星の王子さま』の作者として知られるから、多くの人は童話作家だと思うかもしれない。もちろんこの童話はサン=テグジュペリの代表作といえるだろうが、それだけでなく『夜間飛行』や『人間の土地』を書いたフランスを代表する有名作家であり、第二次大戦には飛行士として出征した「飛行機野郎」だった。佐藤賢一著『最終飛行』(文藝春秋)を読んだ。ナチスドイツに占領されたパリからアメリカに一時亡命し、戦線復帰後行方不明になる最後の偵察飛行までのサン=テグジュペリの姿を追った長編小説だ。

 フランスはパリがナチスに占領されるとヴィシーに親独政権が誕生、一方イギリス・ロンドンに亡命したシャルル・ド・ゴール(1890~1970)はナチス打倒のための活動を始める。アメリカに移ったサン=テグジュペリナチスに奪われたフランスを取り戻すことが大事であって、フランス人同士が争うべきではないと、2つの勢力には組みせず、独自にフランス解放の道を探る。こうしたサン=テグジュペリの言動はアメリカに亡命したフランス人から批判を浴び続けるが、そんな中で童話『小さな王子』(邦題『星の王子さま』)を書き上げる。

 この本で描かれるサン=テグジュペリは高慢で自己顕示欲が強く、批判精神も旺盛、女性にも弱い。とはいえ彼は友情を大事にした。『星の王子さま』の献辞には「レオン・ウェルトに」とある。フランスのジャーナリスト、小説家、美術評論家だったレオン・ウェルトはサン=テグジュペリより22歳上だが、2人は親友だ。ユダヤ人であるがゆえに、ナチスから弾圧を受けた親友へ応援の言葉だ。彼は清濁併せ持つ、人間性豊かな作家だったといえる。

 空への思いを断ち切ることができないサン=テグジュペリは、40歳を過ぎた飛行士はあり得ないにもかかわらず、様々な根回しの結果、念願の戦線復帰を果たしてしまう。44歳の誕生日には強引に後輩と代わってコルス島(コルシカ島)のボルゴ基地からロッキードP-38に乗って偵察飛行に出る。それが、悲劇へとつながる。自分本位に生きた高名な作家・飛行士の最期については、近年まで詳細が不明だった。本の題名にもなった「最終飛行」に関する記述は佐藤の創作だというが、描写は丁寧で飛行機を愛したサン=テグジュペリらしいラストではないかと思われる。

  佐藤は、戦線に復帰したサン=テグジュペリの飛ぶことへの思いを次のように書いている。この言葉は、現代にも通じる警句のように受け止めることができる。

《この馬鹿な戦争が終わったら、いいたいと思うこと、やりたいと思うことが沢山あります。しかし、それだから今は空から離れられないんです。ええ、飛んでなければ、何も書けない。戦わなければ、何もいう権利がない。ええ、飛ぶこと、戦うこと、命の危険を逃げずに引き受けること、それが僕の強みなんです。飛びもせず、走りもせず、自らは安全な場所に留まりならが、ただもっともらしい言葉だけ吐いている連中に対する、絶対の武器になるんですよ》

  今、私の手元には『星の王子さま』(内藤濯訳・岩波書店)がある。サン=テグジュペリの最終飛行を思いながら、再読している。