小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2024 連続幼女誘拐殺人事件の闇に挑む記者  堂場瞬一『沈黙の終わり』

 

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 知人から電話があり、4月に出版された本について話題になった。私もこの本を読んでいたから、知人との話が弾んだ。知人が話題にしたのは堂場瞬一の『沈黙の終わり』(角川春樹事務所)という上下の長編小説だ。作家デビュー20周年を飾る力作といっていい。以下は知人(A)と私(B)の対話である。

 A『沈黙の終わり』を一気に読みましたよ。私は新聞社のことはよく知らないのですが、今もこの本の主人公である、2人のような記者はいるのでしょうかね。

 B いると信じます。この本を読んで現役の記者、元記者はどう思うのか、とても興味がありますね。

 A Bさんは、元記者ですね。しかもこの本の主人公2人は社会部記者です。Bさんは、どう思ったのでしょうか。

 B 私はこの本の舞台である千葉と埼玉の両支局を経験しましたから、妙な懐かしさとともに自分の社会部時代を思い出しましたね。

  A Bさんは元社会部記者だったのですね。事件記者だったと誰かに聞いたことがあります。

  B ええ、昔の話になりますが、3億円事件やロッキード事件リクルート事件にかかわったのです。警視庁担当を2回、合わせて5年やったことがありますから事件不感症なんて自分で言うほど、相当な事件でないと驚くことがなくなってしまいました。社会部記者、デスク時代ともほとんど事件担当でした。千葉支局のデスク、浦和(現在は埼玉)の支局長もやりましたよ。

  A じゃあ、この本を読んで衝撃を受けることはなかったでしょうね。

  B ところが、そうではなかったのですよ。共感する部分が大半でした。同時に私は2人のような力量はなかったと、恥ずかしい思いをしています。

  この本のおおまかなストーリーはこんなことでしたね。

《ある日、千葉県野田市の江戸川沿いで7歳の小1女児の遺体が発見される。遺体の状況から殺害後、遺棄されたとして警察が殺人事件として捜査を始める。東日新聞柏支局長の松島は、長く社会部出身の編集委員をしていたが、定年を直前にして柏支局に異動し、この事件の取材にかかわる。松島は胃がんの手術をしていて、再発を恐れている記者だ。

  一方、このニュースを聞いて千葉に隣接する埼玉県を担当する埼玉支局の県警キャップで社会部に異動が決まっている4年生記者、古山は埼玉でもその4年前に江戸川を挟んで野田の反対側にある吉川市で8歳の女児が行方不明になったことを思い出し、取材を始める。そして、33年の間に江戸川を挟んだ両県で7件の女児殺人・不明事件があったことが浮かび上がる。だが、いずれの事件も捜査が途中でストップし、解決はしていない。この事実に疑問を抱いた2人が協力して取材を進めると、古山に対し埼玉県警の幹部から取材をやめるよう、圧力がかかる。千葉県警の署長も謎の自殺を遂げる。それでも取材を進めた2人は、この事実を記事にし、大きな扱いで掲載される。古山はこの取材途中で社会部に異動し、渋谷署を拠点とした3方面担当のサツ回りになる。

  この後、千葉(柏)、埼玉、本社(地方部、社会部)合同の取材班が編成され、次第に犯人像が明らかになっていく。しかし、犯人像や捜査ストップについて記事にするだけの決定的な証拠は得られない。2人は捜査ストップの黒幕である警察官僚出身の首相秘書官、犯人と思われる人物の父親で元有力国会議員をインタビューするが、記事にはできないまま時間が過ぎ、内閣支持率は危険ラインに達する。そんな時に犯人と思われた男が自殺する。そして、政変。事件のキーマンである首相秘書官と自殺した男の兄で元有力国会議員の長男の官房副長官は更迭される……という経過をたどる》

 最終的に犯人を指摘した記事になるわけですが、官僚と有力国会議員が女児誘拐殺人事件という凶悪犯罪の捜査をストップさせてしまうというストーリーのヒントは、昨今の政界・官界・産業界・マスコミ界に転がっていると思わざるを得ませんね。

  A そうです。この本では社会部系は粘り強い取材をする一方で、政治部記者についてはかなり厳しい書き方をしていますね。松島と同期の政治部出身の編集委員、佐野は政治家のメッセンジャーとして書かれ、松島とのやり取りで「俺の役目は歴史を間近で見ることだって思っている」が、最後のセリフですね。

  B 社会部に在籍した私から見たら、この本の政治部記者の姿はあたらずといえども遠からず、という感じですね。社会部デスク時代、ある事件で知り合いの政治記者から「あまり俺たちのおやじ(担当している政治家のこと)をいじめないでよ」と警告された経験があります。でも、政治部記者がこの本を読んだら不愉快になるでしょうね。作者の堂場はたしか読売新聞記者出身です。新聞社の内情に詳しいのは当然かもしれませんね。

  A でも、2人のような記者が健在なら、新聞は捨てちゃもんじゃないと思いますよ。

 B その点は同感です。そして、新聞記者は現場に居続けることが一番ですね。この本の最後にも、そのことが書かれています。この本を読んで私は社会部記者をやったことに悔いはないと、振り返っています。

  A『沈黙の終わり』の主人公の一人である松島は、千葉支局から社会部、そして編集委員となり、定年直前に千葉県の柏支局長になりますね。若い女性記者と2人だけのミニ支局です。そこで女児殺害事件に遭遇し、隣の埼玉支局の古山記者と連携して難事件に挑むわけですね。Bさんも現役時代、ネタ元が何人かいたと思います。この本では自殺した警察署長(野田署)のほか、内部告発をする朽木、上から圧力をかけられ警察官僚をやめた女性覆面作家、作家を紹介した埼玉県警のベテラン刑事、松島の大先輩の元新聞記者らも事件解明に重要な役割を果てしています。こうした人たちを通じて人間には良心とプライドがあるのだと、作者は訴えているのかもしれません。事件をめぐるこれらの人々をこの作家は的確に配置したと思います。私にとって、読み応えのある本でした。松島のがんという病との闘いについても、目が配られていますね。

  B インターネットの発達で新聞業界は斜陽産業といわれています。私が現役時代は黄金時代でしただけに、この変化には戸惑っています。沈みがちな新聞業界ですが、この小説のような記者たちは間違いなく存在すると信じています。そして、何より政治記者の奮起を促したいと思うのです。書評家の大矢ひろ子は、この本について朝日新聞の読書欄で「自らも新聞記者だった著者による、今の新聞メディアへの警鐘である。批判である。祈りである。(中略)心に刺さる。背筋が伸びる」と書いています。その通りであり、私は堂場からの現役新聞記者への応援メッセージのように受け止めました。同時に、松島のネタ元との対話や古山の渋谷署を拠点にした3方面担当サツ回り記者の動きの描写を読んで、既視感を覚えずにはいられませんでした。私はサツ回りは新宿署が拠点の4方面担当でした。

  A そうですか。2人の記者の姿はBさんの記者時代を投影しているようなものだったのですね。ところで、この本はコロナ禍の現代が舞台です。そしてコロナ禍の取材は、必ず後世に残るものでしょうね。大変厳しい取材が当分続くでしょうが……。

  B その通りだと思います。今、第一線で活動している記者たちのコロナ禍に関する記事は間違いなく歴史に残り、記者活動の記念碑になるはずです。

 

『沈黙の終わり』(角川春樹事務所・上286頁、下285頁)