小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1453 3・11から5年 モーツァルトのレクイエム「涙の日」

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「罪ある人 裁きを受けるために 塵より蘇える日 それは涙の日」 『レクイエム』(死者のためのミサ曲)の第7曲「ラクリモサ」の第8小節でモーツァルトの筆は途絶えた。それから間もない1791年12月5日未明、かつて神童といわれた音楽家は35歳という若さでこの世を去った。その後、弟子のジュースマイアーによって補筆完成した曲は、モーツァルトの「魂の歌」として演奏され続けている。あと1週間で3・11から5年。友人が所属する仙台のオーケストラが3月11日の「祈りのコンサート」でこの曲を演奏するという。一方、別の友人は散文詩風の「風信」という連載で、原発の再稼働が続く現状を厳しく告発している。

松舘忠樹さんは元NHKの社会部記者だ。仙台で被災したした松舘さんは震災後、被災地を丹念に回り、復興の動きをブログで書き続ける一方、アマチュアオーケストラ・仙台シンフォニエッタコンサートマスターを務め、定期演奏会を開いている。仙台シンフォニエッタはほかのオーケストラなどと合同で2014年から震災の犠牲者を慰霊する「祈りのコンサート」を開催し、ことしで3回目になる。詳しくは松舘さんのブログに譲るが、開催の意図を松舘さんは以下のように記している。

《2011年3月11日の東日本大震災では1万5900人もの人々が亡くなり、2500人余の行方不明の方々の捜索は今も続けられている。政府は5年で集中復興期間を終えるとしている。「復興はすでになった」といった誤解ばかりか、風化という言葉も時にささやかれる。故郷を捨て、いつ終わるか知れない避難生活を強いられている福島の人々の苦しみをよそに、原発再稼働を急ぐ人々。福島原発事故もなかったかのような無神経ぶりには怒りを覚える。被災した人々の悲しみ、苦しみは決して癒されることなく、地域の再生は遠い。「震災を忘れない、忘れさせない」。これが、私たちがコンサートに込めた祈り、願いだ》

一方、「風信」(詩誌・コールサック85号)の連載を始めたのは、コラムニストで詩人の高橋郁男さん(元朝日新聞・天声人語筆者)。この連載について高橋さんは「人と時代の営みの一端を、現実と想像の世界とを糾(あざな)いながら、散文詩風に綴ります。折々の、風の向きや風の便りをのせた『風信』のように」と書いている。高橋さんらしい試みだと思う。

「風信」の1回目では工事によって消えてしまった国立競技場周辺の風景や原発問題、車の自動運転、シリア難民、花粉症等々、現代社会の姿を歴史と対比しながら幅広く論じている。仙台出身の高橋さんは、震災を書き続けるジャーナリストの一人である。ここでは原発の再稼働に触れた部分を抜粋して紹介する。

三・一一から五年

愚行 というには生ぬるく

傲慢 というには物足りなく

軽率 というには軽すぎ

拙速 というには甘すぎて

卑怯 というには食い足らず

鉄面皮 というには鉄に申し訳ないような

数多の咎(とが)めの言葉も恥じ入る

「再稼働」というものが始まった

人間には制御できない

と証(あか)され

その惨害に地元という限定は無い

と証され

遠い未来の時までも奪う四次元災害

と証されたのに

「フクシマ」は他でも起こりうる

原発

滅却しないと

日本の滅却を

滅却できない    

 

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田辺秀樹『モーツァルト』(新潮文庫)によると、モーツァルトが病床についたままになるのは1791年11月20日のことで、回復の見込みはなかった。未完のままの『レクイエム』のことが頭から離れず、12月4日午後、見舞いに来ていた親しい歌手たちとともに完成部分を試唱した。絶筆となった「ラクリモサ(涙の日)」、最後の力で生にすがりつこうとするような悲痛な曲にさしかかると、モーツァルトは激しく泣き出し、涙ながらにジュースマイアーに完成の指示を与えた。『魔笛』をもう一度観たいと言い、パパゲーノ(鳥を捕まえて女王に献上して暮らしていた鳥刺しのこと)の陽気なアリアを歌ってもらううちに昏睡状態となり、12月5日午前零時55分に息を引き取った。死因は病気説、毒殺説と数多く、不明のままだ。

モーツァルトの死から225年。大震災と原発事故被災者たちの「涙の日」はいまも続いている。

松舘さんのブログ 震災日誌 in 仙台 

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