小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1443 朝霧が天空の城を演出 2月の風景

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「天空の城」という言葉がある。由来は不明だが、小高い山にある城跡が発生した雲海に包まれて空に浮かんでいるかのように見える現象で、兵庫県竹田城朝来市)や岡山県備中松山城高梁市)などがよく知られている。2月の中旬、寒さが和らいだ今朝、私の散歩コースである調整池を回る遊歩道に突然、霧が出て来て、目の前に天空の城と錯覚する現象が出現した。慌ててスマートフォンを取り出し、撮影したのがこの4枚の写真だ。(画像を2回クリックすると、大きな画像になります) 1枚目は調整池の森の右後方にかすかに駅前のビルが見え、2枚目はやはり森の左後方に赤いとんがり屋根の小学校が写っている。3、4枚目は霧に包まれた調整池の後方に出た日輪である。天気解説によると、けさは南から暖かくて湿った空気が流れ込んで気温が上昇しており、暖かく湿った空気が冷たい空気と混ざって発生する「蒸気霧」が発生したようだ。 雨の日を除けば、ほぼ連日この道を歩いている。平坦な道である。だが、四季折々に時々こうした変化ある風景を見せてくれる。いつもスマートフォンしか持ち歩いていないので、決定的瞬間に出会ってもなかなかいい写真が撮れない。1枚目ももう少しビルをアップすればよかったのだが、間もなく霧に覆われてしまい後の祭りになってしまった。 何度か海外旅行に行った。その際、何人かはカメラを持っていなかった。「自分の頭の中にこの風景を記憶して置くのです」という人もいれば、カメラの代わりにスケッチ帳を持っていて、気に入った場所で素早くスケッチをする人もいた。たしかに、写真を見なくても、明確に思い出すことができる風景もある。カメラを持たない人にとっては、心の中にその風景を焼き付けているのだろう。 そんなことを考え、あらためて今朝の写真を見ていると、自然が演出してくれた鮮やかな風景が脳裏によみがえり、写真の不出来も気にならなくなった。 山霧の梢に透ける朝日かな 黒柳召波 季語辞典によれば、霧は秋の季語である。古くは春秋とも霞とも霧ともいったが、平安時代以降、春の現象を霞、秋の現象を霧と呼び分けるようになったという。召波の句は秋の霧の朝を詠んだものだろうが、今朝の調整池の霧はどう見ても霞とは言えない。春の霧というべきか。
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