小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1442 「聖母子像画」に見る美の追求 ダ・ヴィンチとボッティチェリ展

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美術とは何だろうと、約500年前の2つの名画を見てあらためて考えた。それはレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)の「糸巻きの聖母」とサンドロ・ボッティチェリ(1444/45~1510)の「書物の聖母」である。活動時期が重なり、ルネサンスを代表する芸術家である2人の聖母子像作品は、宗教画とは無縁な私でも引き寄せられるアラウ(ラテン語で独特の雰囲気の意味)が感じられた。 ダ・ヴィンチの作品は、江戸東京博物館両国国技館の隣)の「レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の挑戦展」で、ボッティチェリの作品は東京都美術館(上野の森)で開催中の「ボッティチェリ展」に展示されている。双方とも日本とイタリアが国交を樹立(1866年8月25日、日伊修好通商条約を締結)してことしで150年周年になるのを記念した特別展であり、3月からは同様の企画展として上野の国立西洋美術館で「カラヴァッジョ展」が開催される予定だ。 「糸巻きの聖母」は、屋外の岩に座る聖母が糸巻き棒を見つめる幼いイエスを抱いて作品で、聖母の首の一部にスフマートというぼかし技法が用いられているのが特徴。ダ・ヴィンチらが始めたと伝えられるこの技法は、後の「モナ・リザ」にも採用されている。糸巻き棒は、亜麻や羊毛などの繊維を巻き付けて糸にする道具で、聖母マリアの生活の象徴であると同時にのちに十字架で磔になるイエスの将来を暗示したものと解釈されている。この絵の岩の描写の正確性も科学者としてのダ・ヴィンチの一面をのぞかせているという。 英国貴族のバクルー公爵家が所蔵していたこの絵は、2003年に盗難に遭い、4年後に返還され(犯人は未逮捕)、現在はスコットランド国立美術館に寄託されている。盗難事件を含め、バクルー公爵家が所蔵する経緯など、この絵に関する特集番組が11日のNHKで放送された。興味深い内容だったが、パンフレットを見ると、今回の特別展の主催者にNHKも名を連ねているから、特別展のPR用に制作した番組なのだろう。 一方のボッティチェリの「書物の聖母」は、本(祈祷書)を開き、憂いを帯びたような聖母の顔を幼いイエスが見上げている絵で、聖母の金箔の光輪、ラピスラズリを用いて描いた青い衣服、背後のマヨリカ焼きの器には盛られた果物など、優雅で繊細さが際立つ作品といわれる。この絵を所蔵しているイタリアのポルディ・ペッツォーリ美術館の館長は、朝日新聞の特集号で『自分はいくらでも表現できる』という(ボッティチェリの)自信が伝わってくる」と解説している。 ボッティチェリは全盛期、フィレンツェの名家であるメディチ家に庇護され、、「ヴィーナスの誕生」や「春」などの傑作を描いた。だが、晩年は修道士サボナローラの影響を受け、作風も重苦しいものへと変わり、人気も落ちて行き、借金まみれで死ぬ。こうした生涯は、人の有為転変を感じさせる。これに対し、発明家でもあったダ・ヴィンチはフランス王フランソワ1世の知遇を得て、弟子や友人に囲まれて不自由ない晩年を送ったことが知られている。対照的な晩年を送った2人の作品だが、それぞれにキリスト教に救いを求める人々の願いを凝縮したような、味わい深い聖母子像であることに違いはない。 美術とは、空間の中にさまざまな形を表し、五感のうちの視覚で味わってもらう芸術であり、人間の歴史そのものだと思われる。2つの聖母子像を鑑賞し、そんなことを考えた。 閑話休題 それにしても多くの美術館の出口が売店の先にあるのは考えさせられる。美術館の商魂のたくましさに驚きつつ、買い物をしないで素通りで帰るのが悪いように思ってしまう。図録や絵葉書、関連グッズなどの購入希望者は別にして、出口を求めて混雑した売店を通るのは不快である。今回も2つの作品展の出口・売店は混雑していたから、素通りできない人が多かったのだろう。
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写真 1、ダ・ヴィンチ展とボッティチェリ展のパンフ 2、江戸東京博物館 3、JR両国駅前のダ・ヴィンチ展案内表示 ▽最近の美術関係ブログ 1353 二足のわらじの芸術家たち 多彩な才能に畏敬 1391 未来を予見させる聖母子画 ラファエロと無名画家 1422 芸術は歴史そのもの 絵画と映画と 1385 大災害から復興したオランダの古都  フェルメール・「デルフトの眺望」  1377 光の画家フェルメールと帰属作品  西洋美術館の『聖プラクセディス』 1345 平山郁夫の一枚の絵 千葉県立美術館にて 448 育児院と牛乳 アルメイダの精神