小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1441 最後の手紙は「僕ハモーダメニナツテシマツタ」 子規と漱石の友情

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覚せい剤事件で警視庁に逮捕された元プロ野球選手、清原和博高校野球時代の同級生、元巨人投手の桑田真澄が清原の逮捕について語った言葉が報道された。友を思う気持ちと悔恨の情が含まれた話だ。桑田の言葉は「友情とは何か」を考えさせるもので、明治時代の俳人正岡子規と作家・夏目漱石の関係を思い浮かべた。 桑田の言葉は印象に残るものである。 「(清原に対し)よからぬ噂を聞く度に小姑のように、こういうことはよくないとか、こうしなきゃいけないと引退後も言い続けてきた。それを言えるのが僕だと思う。その小言に嫌気がさしたのか『一切関わらないでくれ』ということを言われて、3年ぐらいになる。「彼の性格は(私が)一番知っており、どういうふうに時間を過ごしているか分かる。今言えるのは、野球のピンチに代打とリリーフはいるが、人生に代打とリリーフはいない。(清原は)現役時代に数々のホームランを打ってきたので、自分の人生でもきれいな放物線を、逆転満塁ホームランを打ってほしい」 桑田と清原の関係はよく知られている。往年の高校野球の強豪校、PL学園で投手と4番打者として夏の甲子園大会で2度優勝を飾り、卒業後清原は巨人入りを希望し、桑田は大学進学を表明していたが、ドラフトで巨人は意外にも桑田を指名した。結局、西武で大活躍したあと清原は巨人に移り、生涯成績で2122本安打、525本塁打を記録し、大打者の仲間入りを果たした。桑田も巨人のエースになるが、右ひじのけがもあって173勝で終わり、大投手の目安となる200勝を達成することはできなかった。清原と桑田は巨人でも一時期一緒にプレーしており、引退後も付き合いがあったという。しかし、前掲の通り、2人の関係は3年前で断絶してしまう。 ここで子規と漱石の関係に触れてみる。東大予備門時代に出会った2人は、意気投合し交流を続ける。しかし、子規は若くして当時の業病(結核)に侵され、漱石がイギリス(ロンドン)留学中に世を去る。病状の子規とロンドンの漱石は手紙のやりとりを続ける。子規から漱石に宛てた最後の手紙は明治34年(1901)11月6日付けである。 「僕ハモーダメニナツテシマツタ、毎日譯モナク號泣シテ居ルヤウナ次第ダ、ソレダカラ新聞雜誌ヘモ少シモ書カヌ。手紙ハ一切廢止。ソレダカラ御無沙汰シテスマヌ。今夜ハフト思ヒツイテ特別ニ手帋ヲカク。イツカヨコシテクレタ君ノ手紙ハ非常ニ面白カツタ。近來僕ヲ喜バセタ者ノ隨一ダ。僕ガ昔カラ西洋ヲ見タガツテ居タノハ君モ知ツテルダロー。ソレガ病人ニナツテシマツタノダカラ殘念デタマラナイノダガ、君ノ手紙ヲ見テ西洋ヘ往タヤウナ氣ニナツテ愉快デタマラヌ。若シ書ケルナラ僕ノ目ノ明イテル内ニ今一便ヨコシテクレヌカ(無理ナ注文ダガ) 畫ハガキモ慥ニ受取タ。倫敦ノ燒芋ノ味ハドンナカ聞キタイ。 不折ハ今巴理ニ居テコーランノ処ヘ通フテ居ルサウヂヤ。君ニ逢フタラ鰹節一本贈ルナドヽイフテ居タガモーソンナ者ハ食フテシマツテアルマイ。 虚子ハ男子ヲ擧ゲタ。僕ガ年尾トツケテヤツタ。 錬卿死ニ非風死ニ皆僕ヨリ先ニ死ンデシマツタ。 僕ハ迚モ君ニ再會スルコトハ出來ヌト思フ。萬一出來タトシテモ其時ハ話モ出來ナクナツテルデアロー。實ハ僕ハ生キテヰルノガ苦シイノダ。僕ノ日記ニハ「古白曰來」ノ四字ガ特書シテアル処ガアル。 書キタイコトハ多イガ苦シイカラ許シテクレ玉ヘ。」(講談社版『子規全集』第19巻より) 「僕はもうだめになってしまった」「僕はとても君に再会することはできぬと思う」という子規の叫びを漱石はどのように受け止めたのだろう。『正岡子規 言葉と生きる』(岩波新書)の中で著者の坪内稔典・京都教育大名誉教授は「ロンドンの漱石も泣き『君はよく生きたよ、子規君』とつぶやいたのではないか」と書いている。 兼好法師は『徒然草』の中で、友になってはいけない人として7つの条件を挙げている。「1、高く、やんごとなき人2、若き人3、病なく、身強き人4、酒を好む人5、猛く、勇める兵(つわもの)6、空言(そらごと)する人7、欲深き人」である。 このうち4、6、7に関しての解釈は不要だろう。その他について私の解釈を付け加えると―。1、プライドが高く、冷たくてなかなか相談に乗ってくれない。2、経験が足りないため頼りない。3、病気を持つ人の気持ちを理解することができない。5、戦うことを好むので危険―ということになろうか。兼好とは異なる考えももちろんあるだろう。だが、この7つは現代にも通じる一つの見識といえよう。 写真、雪を抱いた立山連峰を背後に控えた富山の街並(記事とは無関係です) 子規・漱石関連の過去のブログ 746 質素でシンプルな生活を求める 熊本の小泉八雲 987 寺田寅彦と正岡子規 高知県立文学館の「川と文学」展にて 1191 子規と漱石の青春 伊集院静の『ノボさん』 1233 桐花の香りに包まれて 奇麗な風吹く散歩道 1396 子規の9月 トチノミ落ちて秋を知る