小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1391 未来を予見させる聖母子画 ラファエロと無名画家

画像アルテ・マイスター絵画館(ドイツ・ドレスデン、古典巨匠絵画館)の『システィーナの聖母』(『サン・シストの聖母』とも呼ばれる)はラファエロ(ラファエッロとも)・サンティ(1483~1520)の最もよく知られた祭壇画である。第二次大戦後、ソ連に持ち去られたのち返還されるという過去も持つ名画だ。 この絵には天使も描かれていて、現在ではTシャツやカップなどのモチーフとして使われているという。一方、友人がブログである教会で出会った無名画家(14世紀)の聖母子の絵を紹介している。素朴な絵である。よく知られた画家と無名の画家は、長い時代を経て私たちに聖母子の絵に込めた強い思いを感じさせるのだ。 ラファエロレオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロとともにルネサンスの三大巨匠であり、聖母マリアと幼子キリストを描いた「聖母子」作品を数多く残し「聖母子の画家」ともいわれている。この絵はラファエロパトロンローマ法王だったユリオス2世の依頼で、イタリアのピアツェンツァの教会(サン・シスト教会)の祭壇画として1512年 ~1513年頃に描いたとみられ、光の中に聖母子が浮かび上るという光と影を駆使した作品だ。 アルテ・マイスターの解説書によると、1753年にザクセン選帝侯のフリードリヒ・アウグスト2世(アウグスト3世サス)によって購入されたもので、アルテ・マイスターを代表する作品だ。優雅で洗練されたこの絵には聖母子のほか、左側に3世紀に活躍したという法王シクストス(モデルはユリオス2世)、右手に守護聖人である聖バーバラが、一番下には2人の天使が描かれている。天使を描くことによって、人間界と天界の境目がはっきり分けられているという。 解説には、ラファエロはこの絵でダ・ヴィンチが好んだといわれるピラミッド型の構図を引用したことにより、安定と同調が生まれたとも記されている。また、この絵のコピーがピアツェンツァの教会に現在も飾られている―とも記されている。アウグスト2世によってドレスデンに移されたこの作品は、その後第二次大戦でナチス・ドイツが連合軍に降伏し、ドイツが東西に分断されると、ソ連によって戦利品としてモスクワに持ち去られてしまった。しかし、10年後に返還され、現在では780点が展示されているアルテ・マイスターの中でも人気がある作品といわれる。 正直なところ、私はキリスト教に関する絵はよく分からない。だが、ラファエロのこの絵に描かれた6人の表情は、苦難があってもそれを乗り越える、人間の未来を予見させるような何かがあるのだ。無名画家も同じ思いで『聖母子』(フレスコ画)を描いたのかもしれない。 アルテ・マイスターの歴史(ドレスデン絵画館解説書などより) 絵画コレクションの歴史は古く、絵画の多くがザクセン王国の絶頂期を築き、またポーランド王を兼ねたフリードリヒ・アウグスト1世(アウグスト2世、アウグスト強王)とその息子、フリードリッヒ・アウグスト2世の時代に収集された。彼らは美術に深い造詣があり、鑑定眼を持っていた。収集は1756年の7年戦争勃発ごろまで積極的に行われ、主にイタリアの各都市やパリ、アムステルダムプラハなどから買い集められ、イタリアルネッサンス絵画やオランダ、フランドルのバロック絵画が充実しているのが特徴。作品はドレスデン宮殿に展示されていたが、収集品が多くなり、ツヴィンガー宮殿の北側にゴットフリードゼンパー(ドレスデンオペラ座の建築家)によって建てられた現在の建物(絵画館)に移された。 第二次大戦中、絵画館は閉館し、絵画はすべて疎開させた。1945年2月13日には連合軍の空襲でツヴィンガー宮殿と絵画館は大きな被害を受けた。さらに進攻してきたソ連軍が戦利品として疎開していたすべての絵画をモスクワ、キエフに持ち帰ったが、戦後ほとんどの絵画が返還された。絵画館が再オープンしたのは1956年6月3日で、現在の建物は2度にわたって補修され、ほぼ戦前の建物と同様に再建された。館内は左右対称で、訪れる人に見やすい構造になっているのが特徴だ。フェルメールの『窓辺で手紙を読む少女』『取り持ち女』、ドイツで絶大な人気があるリオタールの『チョコレートの少女』なども展示されている。 画像 ここをクリック 友人のブログ 「聖母子」無名画家の絵 冒頭の絵はアルテ・マイスター解説書より