小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1379 トマス・モアと安保法制  政治家の理性とは

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ユートピア』の著者、トマス・モア(1478~1535)は中世イングランドの法律家・思想家だ。 イギリス史上、最高のインテリで暴君といわれたヘンリー8世(カトリック信者でありながら6回結婚を繰り返した)の離婚に反対したとして反逆罪に問われ、ロンドン塔に幽閉されたのち、斬首刑になった悲劇の人物だ。死後400年後の1935年、カトリック教会の殉教者として列聖され、政治家と弁護士の守護聖人となった。 昨今の日本政治の最大関心事ともいえる「安保法制」をめぐる動きを見ていて、モアのことを思い出した。たまたま、NHKBS放送でモアをテーマにした映画『わが命つきるとも』(1966年・イギリス)を見た。アカデミー賞の8部門でノミネートされ、作品賞や監督賞(フレッド・ジンネマン)、主演男優賞(ポール・スコフィールド)など6部門に輝いた名作である。 絶対的権力を持つ王に対しても、その離婚に対しYESといわなかったモアの法律家としての精神は現代の法律家にも受け継がれているはずだ。それは、6月4日の衆議院憲法審査会で、各党推薦で安保法制を違憲とした著名な憲法学者3人にも共通するものだろう。 安倍首相は、こうした憲法学者の発言があっても国会では「国際情勢に目をつぶって、従来の憲法解釈に固執するのは政治家としての責任放棄だ」と言い続けている。ヘンリー8世と同じく、自分の意見に従わない者は認めないという姿勢といっていい。 「憲法解釈」という言葉がこのところニュースとして扱われることが多い。本来なら字義通りに解釈すべき憲法を、歴代政府はさまざまな解釈を加え、憲法をより分かりにくいものにしてしまっているのだ。アメリカ建国の父の一人といわれるベンジャミン・フランクリンはこんなことを言っている。「理性ある動物、人間とは、まことに都合のいいものである。したいと思うことなら、何にだって理由を見つけることも、理窟をつけることもできるのだから」(フランクリン自伝)。 昨今の安倍首相の言動をみていると、この言葉通りだと思わざるを得ない。