小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1378 新国立競技場建設計画の経緯は? 負の遺産の運命か

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かつて歌手・タレントの植木等さんは「無責任男」として売り出した。だが、植木さん自身はまじめで優しい人だったという。2020年の東京五輪のメーン会場になる新国立競技場の総工費が2520億円とする計画が有識者会議で了承されたというニュースを見て、無責任時代という言葉が頭に浮かんだ。 新国立競技場の計画については、国民の大半が疑問に持っていることは報道機関の世論調査で明らかになっている。総工費が当初より750億円も増え、しかも完成後50年間の大規模改修費が1000億円に達する、まさにバブル時代の「箱もの主義」といえる計画なのだ。 7日の有識者会議。屋根部分だけで巨額の工事費を必要とするキールアーチを盛り込んだイラク出身の女性設計家・ザハ・ハディッドさんのプランの採用を決めた国際コンペ審査委員長の安藤忠雄氏は欠席、メディアでは「会議から逃亡」というニュースが流れた。安藤氏は純粋に設計家の立場からハディッドさんのプランに魅力を感じたのだろう。しかし、予算をはるかに上回ることに気が回らなかったのだろうか。世界的設計家といわれる安藤さんの話を聞いてみたいと思うのは、私だけではないだろう。 それはさておき、この計画に対し多くの危惧の声が上がっていた。きょうの有識者会議では、それらの声は無視された。有識者と称する人たちは、何も声を上げなかったのだろうか。ここでも安倍首相がぶち上げた「このスタジアムを造る」という国際公約が壁になっているという。 ギリシャの経済危機が伝えられている。日本も対岸の火災視できないほど、国家財政が危機的状況にあることは周知の通りである。そうした状況にあって、一つの競技場にこれほど巨額資金を投ずるという感覚は理解できないし、造るべきではないのだ。 だが、関係者たちは聞く耳を持たない。その背景には冒頭の無責任体制があると言っていい。だれも責任を負わないまま、箱ものという妖怪が東京のど真ん中を徘徊している様子が目に見えるようだ。新国立競技場はだれも責任をとらない「無責任時代の象徴」になる可能性が強い。それはまさしく、次世代には「負の遺産」なのである。地下に眠る植木さんもあきれていることだろう。 新国立競技場建設をめぐる動きを見ていて、アメリカの第16代大統領リンカーンがこんなことを言っているのを思い出した。 人間性は変るものではありません。わが国将来の一大試練の時にも、今この試練にあっている人々と比べてまったく、同じように、弱い者強い者があり、また愚かなもの賢い者があり、悪い者善い者がいることでしょう。(リンカーン演説集より)