小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1366 生き方の結晶・野菜と花 「アウラ」市毛實写真展

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アウラ」と題した写真展を見た。5月26日から31日まで東京・南青山で開かれている市毛實さんの花と野菜に絞った写真展だ。モノクロの光と影を駆使したさまざまな写真からは不思議な生命力が伝わり、会場には深淵な雰囲気が漂っていた。 「アウラ」という言葉は、ドイツの批評家、ヴァルター・ベンヤミン(1892~1940)が著書『複製技術時代の芸術』の中で使った。ベンヤミンによれば、アウラの概念は「複製芸術ではないオリジナルな作品が持つ崇高な1回だけのもの」である。原義はラテン語の「物体から発する微妙な雰囲気」(オーラ)で、市毛さんの写真からはラテン語の原義とベンヤミン説の双方を感じ取ることができる。 市毛さんは、1947年生まれの67歳。ファッション、コマーシャル写真、日本やアジア各国の人々や風景、植物、作家などのポートレートと幅広い分野で写真を撮り続けている。主流となったデジタルカメラは使わず、フィルムカメラにこだわり続け、作品のほとんどはモノクロである。 東京が活動の拠点だが、2009年には千葉県君津市内にスタジオと暗室を設け、週3日は君津生活だ。周囲に点在する農家との触れ合いの中で、野菜や花に目を向けるようになり、撮影の対象に加わった。 今回展示された写真55点は、いずれも君津での活動の中で創作した。11×14(インチ)の大型カメラで撮影し、インド産の手すき紙(綿が原料とみられ、市毛さんは西洋紙と和紙の中間くらいの風合いという)に焼き付けた。カラー、バラ、山百合、ストレリチア(極楽鳥花)などの花とタマネギ、キャベツ、白菜、ヤマイモなどの野菜が写っている。野菜は、いずれもが根が付いたままである。ふだん根のない野菜を見慣れている者にとって、根が付いた野菜の写真は心に迫ってくる。 「野菜は根っこがないとダメ」と市毛さん。その生命力を感じるためには根が必要というのである。一方、花については「撮影していて女性を感じる。奥が深くて怖い」ともいう。美しいものに対する市毛さんの畏敬なのだろう。 20世紀を代表する写真家といわれ、『決定的瞬間』(自身の写真集の題名)という写真の本質を言い表した概念を定着させたフランスのアンリ・カルティエ=ブレッソン(1908年~2004年)は、写真とは「撮影する瞬間に事実のもつ意味と形の構成を同時に認識することだ」と語っている。つまり、ブレッソンに言わせれば、写真の撮影は対象と同じ照準に頭、目、心を合わせることであり、作品はその写真家の生き方を表現したものなのだ。 その意味でも市毛さんの「アウラ」の写真は、彼の生き方の結晶のように見える。 市毛さんの写真展は東京都港区北青山3―5―25 表参道ビル4F 南青山アートスペース・リビーナ 写真 写真展会場の市毛さん。後方左はヤマイモ、右はカラーを撮影した写真。 モノクロ・影絵の世界へのいざない 「般若心経」写真展を観る