小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1351 障害を持つということ 『奇跡の人』とつんく♂さんのこと

画像シンガソングライターで音楽プロデューサーのつんく♂さんが喉頭がんのため声帯を摘出、声を失ったことを母校・近畿大学の入学式で公表した。原田マハ著『奇跡の人』(双葉社)を読んでいる途中にこのニュースを知り、人にとって声を失うことがいかに大変なものであるかを考えた。 『奇跡の人』は、明治時代の津軽(青森県)を舞台に、旧幕臣の娘で岩倉使節団の留学生として渡米した経験を持つ「去場 安」(さりば あん)が、伊藤博文の紹介で「盲目で耳も聞こえない、口も利けない」という三重苦の障害を持ち、獣の子どものように扱われていた少女「介良 れん」(けら れん)と出会い、人間らしく生きることができるよう教育する長編小説だ。盲目の津軽三味線の旅芸人キワ(のちに人間国宝になるという設定)という女性も、物語の中で重要な役割を果たしている。 「三重苦の障害」を持ちながら、障害者教育と福祉に寄与したアメリカの社会福祉活動家、ヘレン・ケラー(1880~1968)の存在はよく知られている。2歳の時に高熱のため聴力、視力、言葉を失ったヘレンは7歳の時に家庭教師のアン・サリヴァンと出会い、行儀や指文字による言葉を教えられ、以来50年にわたってアンとヘレンの交友は続く。 原田の作品の2人の主要人物である「去場 安」と「介良 れん」の名前を見れば気付くことだが、この作品は『奇跡の人』と呼ばれたヘレン・ケラーの生涯をモデルにした日本版である。「去場 安」は」アンと同様に弱視であり、「介良 れん」が三重苦の障害を持ったのも熱病が原因という設定になっている。ヘレン・ケラー物語の日本版とはいえ、2人の主要登場人物の名前は無理にこじつける必要はなかったのではないか。とはいえ、この小説は読者を惹きつける力を持っている。 明治4年11月から明治6年9月に及んだ岩倉使節団は、政府首脳や留学生ら107人がアメリカやヨーロッパに派遣された。アメリカ留学組の中には津田梅子や山川捨松、永井繁子という3人の女性(派遣されたのは5人だが、2人は早期に帰国)も含まれている。 のちに津田塾大の前身、女子英学塾を設立し、女子教育の先駆者になった津田梅子は使節団最年少の満6歳で渡米し、米国で10数年にわたって教育を受けたというから、けた外れの精神力の持ち主だったといえよう。その津田の留学生活が、安のアメリカでの留学生活の中に巧みに取り入れられている。 安とれんの姿は格闘のような日常でもあり、この作品は重い障害を持つれんが安に心を開くまでの険しい道のりを通じて、障害者教育とは何かを訴えているともいえる。三重苦の少女を導いた「去場 安」の言葉として、概略以下のようなことが書かれている。障害者教育の原点であり、身に染みる言葉である。 《あの子は、樹木なのです。樹木は、聞くことも、見ることもない。話すことも、もちろんかなわない。けれど、太陽の光を受け、風に枝をそよがせながら、全身で表現しているのです。(中略)あの子は、まさに、若葉萌えいずる樹木そのもの。青空へ、光射すほうへと、枝を放ち、どんどん伸びていく。その力、その輝き。すべてが若木のよう。さらに、樹木にはない、底知れぬ可能性を、あの子は持っているのです。あの子には、感情がある。学ぶ能力がある。人間らしく生きていく権利がある。つんく♂さんは「食道発声法」という発声練習を始めているという。れんに負けずに新しい生き方に挑戦しているのである。