小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1347 東日本大震災・原発事故から4年 人の心に浮かぶもの

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「福島の原発事故が日本という高度な技術水準を持つ国でもリスクがあり、事故は起きるのだということを如実に示した。私たちが現実に起こりうるとは思えないと考えていたリスクがあることが分かった」

「エネルギーの3分の1を原発が担っている。それが止まった中で石油などの化石燃料に頼っている。低廉で安定的なエネルギーを供給していくという責任を果たすために、基準をクリアしたと原子力規制委員会が判断したものは再稼働していきたい」

前者は来日したドイツ・メルケル首相の講演、後者は安倍首相の記者会見での発言である。ドイツは福島の原発事故をきっかけに2022年までに原発全廃を決めた。メルケル首相の言葉と原発の再稼働を目指す安倍首相の発言が載った新聞を読んでいて、隔たりの大きさを感じた。

原発事故を引き起こした地震多発国の首相は事故の教訓を語らず、遠いヨーロッパの国の首相が日本の事故を深刻に受け止めている。メルケル首相は理論物理学者の道を歩んできたこともあって、福島の事故の意味するものを真正面から考えたのだろう。一方の安倍首相は、原発再稼働ありきに走り、福島第一原発の汚染水問題はブロックされていると言いつづけている。

しかし、第一原発2号機の屋上の一部にたまり汚染された雨水が排水路を通じて海に流れ出ていたことが最近ようやく明らかにされた。東電は排水路の放射性物質の濃度が雨のたびに上がっていることを把握していたにもかかわらず、2014年4月以降公表していなかった。「ブロック」という言葉が空虚に響くのである。

イギリスの第2次大戦中の首相チャーチルは、アメリカが開発した原爆を日本へ投下することを知って「原爆ってやつは(人類に対する)第2の神罰だ」と述べた(仲晃著、『黙殺』より)が、それは原子の火を人間が手に入れたこと対するチャーチルの恐れを表した言葉といえる。メルケル首相も同様に、原発に対するリスクの大きさを訴えた。

日本には「喉元過ぎれ熱さを忘れる」ということわざがある。「苦しい事もその時一時だけの事で、過ぎ去ればけろりと忘れてしまうものである。苦しい際に恩を受けても、楽になれば忘れ去ってありがたく思わないことのたとえにもいう」(鈴木棠三・広田栄太郎編『古寺ことわざ辞典』より)という意味である。英語にもこんなたとえがあるという。日本の安倍政権はまさにこの状況を体現している。

The danger past and God forgotten.(危険が過ぎると神は忘れ去られる)

Vows made in storms are forgotten in calms.(嵐の時になされた誓いは落ち着けば忘れられる)

東日本大震災から明日で4年。「荒城の月」で知られる土井晩翠(1871~1952)の「希望」(詩集・天地有情)という詩を読み返した。この詩はこんな言葉で結ばれている。

流るゝ川に言葉《ことば》あり、

燃ゆる焔に思想《おもひ》あり、

空行く雲に啓示《さとし》あり、

夜半の嵐に諌誠《いさめ》あり、

人の心に希望《のぞみ》あり。

写真は、全村避難の福島県飯舘村の風景。除染された土が青いビニールシートで覆われている。