小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1333 三日月残る朝 阪神大震災から20年

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このごろの6時過ぎの時間は、まだ夜が明け切っていない。東の空には三日月が残っていて、散歩道を照らしてくれている。道の両側の土の部分には霜柱が立っている。小寒から大寒へと続く厳冬期である。 1月17日は、阪神淡路大震災から20年目の節目の日である。神戸では天皇、皇后両陛下が出席して、震災追悼式典があったことをテレビが伝えている。だが、国民の命を守るべき立場にいるはずのあの人は、会場にはいなかった。 安倍首相のことである。節目の式典には目もくれず、当の首相は中東にいる。16日から21日までエジプト、ヨルダン、イスラエルパレスチナを歴訪中なのだ。「積極的平和主義」に基づく安倍外交を世界にアピールする狙いがある―とテレビは報道しているが、得意の財政援助を口にしても、日本がこの地域で影響力を行使するのは容易ではない。大災害の節目の式典出席を見送ってまで行く必要性があるとはとても思えない。 『論語』(318-319)にこんな言葉がある。「徳ある者は必ず言あり。言ある者は必ずしも徳あらず。仁者は必ず勇あり。勇者は必ずしも仁あらず」(人格の立派な人物ならば、そのことばはきっと優れている。しかし、いいことを言う者は、必ずしも人格が立派ではない。人格者は、必ず勇気がある。しかし、勇敢な者は、必ずしも人格者ではない=加地伸行訳) この言葉を様々な分野の指導者に当てはめてみると、なかなか面白い。「巧言令色、鮮(すく)なし仁」(<他人に対して人当たりがよく>ことば巧みに飾りたてたり、外見を善人らしく装うのは<実は自分のためというのが本心であり>仁、すなわち他者を愛する気持ちは少ない=同)という言葉(論語3)とよく似ている。 阪神・淡路大震災は死者6,434人(行方不明者3人)を出した都市型の大災害で、犠牲者数は戦後最大だった。2011年には東日本大震災が発生し、こちらが戦後最悪となったが、歴史的災害であり、この災害によって受けた心の傷が癒えない被災者は少なくない。政治家は忘れても、多くの人には忘れることができない災害なのである。 昨年8月、広島と長崎の原爆の平和記念式典に出席した安倍首相の立ち振る舞いはほめられたものではなかった。当時の記事を読み返して、そう思った。昨年のことといい、今回の式典欠席といい、首相自身の資質に加え官邸周辺に気骨ある人物がいないことを露呈しているといえる。 藍茜三日月照らす霜の道 犬と猫の受難の話 盲導犬が刺される時代……