小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1326 照明の陰影 LEDと現代

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いま、照明はLEDの全盛時代になった。だが、いまから40年前の1974年当時、日本社会は室内照明に陰影を大事にする「ほの暗い時代」を迎えつつあった。いまでは考えられないことだが、そんな時代があったことを懐かしく思い出している。 手元に、「深代惇郎天声人語」(朝日新聞社、1976年9月)という本がある。この本の中で、深代は「ほの暗い時代」(1974.3.10)というコラムを書いている。要約すると、イギリスの電力不足による節電を心配した深代からの手紙に対しロンドンの友人から返事があり、「心配は無用、精神科の客が22%減った」と知らせてきた。深代は「ろうそくの下の暗い生活がストレスをなくし、心を落ち着かせるのだとしたら考えさせられる」と書き、「ほの暗さ」について日本の文化に当てはめて考察する。 谷崎潤一郎の『陰影礼讃』がそれを克明に論じたものと紹介したあと、家屋の構造に触れ、日本人が光と影に繊細な感受性を持っていると分析する。そして、陰影に敏感な日本で「白々としたけい光灯が普及したのは理解し難いことだ」と嘆き、その遠因として「『光が明るい世の中ほど世の中は明るい』といった戦後社会の鹿鳴館的心理だったにちがいない」と考える。 このコラムの終わりで、深代は「数年前から、昔の白熱球電球が売れ始めたという。室内照明に、陰影が大切にされてきたとも聞いた。人は『ともしび』を懐かしんでいる。『ほの暗い時代』の到来は、GNP信仰の崩れるタイミングと符合している」と結んでいる。 40年前を振り返ると、私は仙台に住んでいた。前年にはオイルショックがあり、日本社会は戦後の経済の高度成長に水をさされ、照明のほの暗さに目を向けたころだった。深代はこうした時代の空気をコラムで描いたのだろう。 前回書いた通りLEDは「21世紀の照明」といわれ、照明の中心になった。LEDによるイルミネーションが夜の街を飾っている。LEDに人の心を和らげる力があるのかどうか私には分からない。だが、ノーベル賞をもらった3人の日本人研究者の顔を思い浮かべると、それぞれに個性があって愉快である。だからLEDにも彼らの心が通っていると考えたい。