小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1319 健さんの死 空に一筋の雲  「ひた向きに生きたい」

画像
高倉健のようにひた向きに生きたい」いつかの酒席で私はこう話したらしい。人間は自分とは遠い存在に憧憬を持つから、私は酔いにまかせてそう言ったのだろうか。 「現在の暦でいうと、2月はいちばん寒い季節だと思います。その寒い季節の真ん中である2月16日が、ぼくの生まれた日です。それと、もう一つ、これは冗談と思って聞いていただければいいことですが、駅の売店などで『生まれた日占い』などという小冊子が売られています。この日に生まれた有名人ということで2、3人の名前があがっていまして、『2月16日』を見ると、ぼくの名前も出ていましたが、驚いたことに、隣り合わせで高倉健さんの名前も出ているのです。高倉健さんは、ぼくと完全に同年同月同日の生まれなんです」 詩人の大岡信さんは『瑞穂の国うた』(新潮文庫)の中で、俳優で今月10日に亡くなった高倉さんと同じ1931年(昭和6)、2月16日に生まれたことを明かしている。83歳である。 実は私も生年こそかなり違うが、同じ2月16日が誕生日であり、(大阪に住む友人も1年違いで同じ誕生日である)大岡さんのこの本を読んで以来、高倉さんに何となく親しみを持っていた。東日本大震災に被災地で撮影された少年の写真(下段のブログ参照)を持ち歩いているというエピソードを知って、その人柄に惹かれたのだ。もちろん、北海道を舞台にした「幸福の黄色いハンカチ」や「鉄道員(ぽっぽや)」のほか、最近の「あなたへ」といった彼の映画はほとんど見ていて、その独特の雰囲気に浸っていた。 高倉さんが亡くなって既に8日。プロダクションからの連絡文には「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」という高倉さんの言葉が添えられていた。後輩俳優の梅宮辰夫さんはテレビのインタビューに対し「高倉さんは私たち昭和の俳優の拠り所だった」と話していた。2つの言葉は、高倉さんの人生を的確に表現しているように思える。 早朝の散歩を日課にしている。昨日ときょう、2日続けて東の空から西の空に向かい大きな一本の雲が出ていた。すじ雲の一種と思われるが、太陽光線に照らされて赤く輝いて見えた。あの雲は、高倉さんとの別れを教えてくれようとしたのかもしれない。 「遠い夕やけの雲を見ていると ぼくはあの下に美しい国があるとおもう。美しい音楽と、楽しい夕餉があるとおもう。そこへ行けないのがなにかかなしい気もちがしてくる」(百田宗治 「夕やけ雲の下に」より)
画像
画像
高倉健さん関連ブログ 震災の不条理訴える2枚の写真 高倉健さんが持ち歩く宝物とは 山頭火と高倉健 映画「あなたへ」を見て思うさまざまな人生 一筋の道を行く 3人が歩む世界