小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1278 hana物語(19) 輪廻転生~いつの日か

画像
「輪廻転生」。霊魂がこの世に何回も生まれ変わってくるという意味で、多くの宗教でこの考え方が存在するという。私は突き詰めて考えたことはなく、信じてもいないのだが、なぜかhanaが生きている間から「この子は今度生まれ変わるとしたら私たちの子どもになりたいと思っているのかもしれないな」などという、とりとめのない会話を家族の間で何回か交わしたことがある。 こんなに早く、私たち家族の前から消えてしまうとは、思ってもいなかった当時のことだ。いま、何かを考えるような表情をした写真を見ながら、hanaは最期の日々をどんな思いで送ったのだろうかと想像している。 旅行から帰ってきたときなど、家族がhanaの散歩を兼ねて駅まで迎えにきてくれることがあった。hanaは私に気が付くと、大喜びをして尻尾を振りながらリードを引っ張るようにして近づいてくる。そのうれしそうな表情は、いまも心に焼き付いている。時には散歩を嫌がっても、「駅までお父さんを迎えに行くよ」と家族が話しかけると、いそいそと歩き出すのだそうだ。 若いころは、遠くからでも私のことはすぐに分かって走ってきたが、歳をとるにつれて気が付くのが遅くなった。それは仕方がないことだった。 だが、見かけは若かった。がんと分かってから急速に衰えて顔の精気も失われたが、その前の6月には動物病院の待合室で、他の犬の飼い主から「若いワンちゃんですね」といわれて、自分のことではないのにもかかわらず、有頂天になった。 「いや10歳です。間もなく11歳になるのですよ」と答えると、相手が驚いたのだが、夜、その話を次女にすると、妻は「またhana自慢ですか」と言葉を差し挟みながら、妻自身も満更でない顔をしている。hanaの散歩中、出会う人たちから「顔のきれいな犬ですね」と言われ、子どもたちが「触ってもいいですか」と近寄ってきたことも少なくなかった。親ばかという言葉があるが、私の場合は「犬ばか」だったといえようか。 犬は飼い主に似るといわれる。犬は自分で飼い主を選ぶことができず、その生活は飼い主に依存せざるを得ない。そのために性格や体つきまで飼い主に似てくるのだそうだ。英国のバース・スパ大学(市街が世界遺産に指定されているバース市にある)のランス・ワークマンという心理学者の研究によると、飼い主は無意識のうちに自分と性格の似ている犬を選んでいるのだそうだ。 私たち家族はhanaに影響を与え、逆に穏やかで人間好きだったhanaの影響で、身勝手な生き方をしてきた私も少しは穏やかになっただろうか。いずれにしろ、hanaは私たち家族にやすらぎをもたらしてくれた。いまでも散歩途中のゴールデンレトリーバーを見かけると、親近感がわいてくるのだから、この犬種が好きなのだと思う。 hanaの一生は10年とちょっとだったから、私たち人間と比べたら「短い生涯」だ。犬の中でも特に大型犬の寿命は長くない。きちんとした統計はないと思われるが、この犬種の平均寿命は10歳前後だそうだからhanaは平均的な生涯だったといえる。 hanaが生まれた2002年7月からからこの世を去ったことし7月までを振り返ると、私自身も家族にも多くの出来事があった。これまで生きてきた中で、一番の衝撃ともいえる「3・11」も体験した。この間、hanaは私たち家族の支えとなり、時には慰め、さらに疲れを癒してくれた。 hanaの遺骨を金木犀の根元近くに埋める日が近づきつつある中で、妻は一緒に埋めてやるhanaのイラストの顔が入った刺繍をつくっていた。それには「hanaありがとう」という私と妻の連名の文字が入っていた。それは、私たち家族のhanaに対する感謝の思いだった。