小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1276 hana物語(17) たまには私だって

画像犬を主人公にした小説で一番心に残っているのは、ジャック・ロンドンの「野性の呼び声」だ。アメリカ、カリフォルニアの判事の家でのんびり暮らしていた大型犬バックが、庭師に盗まれてゴールドラッシュに沸くアメリカとカナダ国境へと売られ、過酷な犬ゾリ隊に組み込まれ、いつしか野性を取り戻していくという話である。

hanaはイギリスが原産のゴールデンレトリーバーという犬種で、かつては狩猟犬といわれた。野生の呼び声のバックとは対照的に穏和な性格で、怒った姿を見ることは少なかった。

元気なころ、hanaは私が帰ると遊んでくれと言いたいのか、「ウー」という低いうなり声を出して、近寄ってくるのが定番だった。じゃあ「遊ぶか。捕まえるぞ」と言いながら、私が追いかけようとすると、逃げ出して居間をぐるぐる回る。ようやく捕まえた私が体に抱き付いたり、顔を両手で挟み込んでごしごしやったりする。

すると、hanaはソファーに上り込み、腹を出して喜ぶ。さらに腹をくすぐると、口を大きく開けて、低いうなり声を出す。その口の中に手を突っ込んでも、hanaは決して噛むことはしない。私とhanaの遊びは夕食直前の時が多く、そのうち妻から「うるさいわね。もうやめなさい」という警告があり、数分で終わりになる。

犬の種類によっては、例えばビーグル犬のような食欲の旺盛な犬は、餌を食べている最中に飼い主がちょっかいを出すと、遠慮をせずにその手や腕を噛んでしまうことがあると聞いた。hanaも元気なころ、食欲旺盛という点ではビーグル犬にひけを取らなかった。だが、餌を食べているときにいたずらをされても人を噛むことは絶対にしなかった。

ただ、威嚇するという行為は忘れていなかった。それは本能といっていいだろう。その洗礼を受けたのは、時々遊びにやってくる孫とミニチュアダックスフントのノンちゃんだった。機嫌のいいときには小さな孫が背中に乗り、耳を引っ張っても仕方がないなあという顔をしながら我慢をしている。しかし、孫の動作があまりに乱暴だと、低く「ウー」という怒りの声を出して、孫から離れていく。

その声に孫は泣いたが、再びやってきたときには、そのことは忘れたのかhanaに近づき、体に触る。今度はhanaも落ち着いていてされるままになっている。

ノンちゃんの場合も似たようなものだ。hanaと再会したうれしさからか、ふだんおとなしいノンちゃんは、hanaの周りをぐるぐる回り、さらにお尻のにおいをかいだりしてまとわりつく。それがうっとうしいのか、孫の時と同じようなうなり声を出し、ノンちゃんを追い払うのだった。孫もノンちゃんも、hanaの威嚇を受けたことは数少ない。だから、その後も平気で孫はhanaの体にさわり、ノンちゃんはまとわりついた。

hanaがいなくなってからやってきた孫は「hanaちゃんは空に行ってしまって、ここにはいないんだ」と、けなげなことを言う。私たちが一度教えたことを信じているのだろう。床の間に飾ってあるhanaの写真を見ながら、何かを語りかけているときもある。一方、ノンちゃんは友だちがいなくなったことにどう思っているのだろう。わが家からhanaのにおいが次第に薄くなる中で、まとわりついた日々を忘れていくのかもしれない。

野性の呼び声のバックは、人間とのかかわりの後、野性に目覚め、自然の中で暮らすことを選択する。hanaもペットとしての一生を終え、自然へと帰っていった。