小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1262 hana物語(5) それぞれの旅立ち

画像
hanaの闘病と死に対し友人からメールやブログへのコメントの形で多くのメッセージが寄せられた。前に書いたが、友人の一人からは「シリウスへの旅立ち」というメッセージをもらった。心のこもった便りの数々は、hanaにも伝わったに違いない。その中で2人の友人が愛犬の死をめぐるエピソードを書き送ってきた。 一つは若い年下の友人の話である。それは犬と人間との深いつながりを示す話で、私はこんな友人を持って誇りに思った。 友人は九州出身で、自宅で飼っていた秋田犬の「ぽて」を家族で一番かわいがっていた。このぽてが7歳になったとき、片方の脚に骨肉種が見つかった。腫瘍は次第に大きくなり、腫瘍が破裂して肉がむき出しになった。友人は、その患部から発生したウジを取り除くなど、懸命に介護を続けたが、その傷口は壊死が進みそのままでは命の危険があるため、脚を切断しなければならなかった。 当時、友人は高校3年生で、大学進学で県外に出ようとしていた。しかし、もし自分が家を出てしまったらぽてはさびしがるだろうと思った友人は、九州にとどまり1年間の浪人生活をすることを選択したのだ。動物を飼ったことがない人が友人の選択に対しどのように思うか分からないが、私は友人の行動は間違っていなかったと断言する。 片方の脚を切断しても、ぽては散歩が好きだった。しかし、散歩に連れて行っても、すぐに疲れてしまうため、友人はカートを持ち歩いて疲れたぽてに使わせた。受験勉強と重病の犬の介護生活が1年続き、友人は東京の大学に合格し、九州を離れた。それから1カ月後、ぽては友人の自宅の庭で眠るような姿で死んだ。家族からの連絡でぽての死を知った友人の悲しみが深かったことは容易に想像がつく。しばらくペットロス(ペットとの死別で起きる心身の疾患)の状態が続いたのは当然かもしれない。 いま、友人は当時を振り返って「犬に寄り添ったあの浪人時代の1年間が私にとってとても貴重な時間で、後悔のない選択をしたということを実感しました」という思いを持つことができた。そして、こうも言う。「端から見て本当にhanaちゃんは幸せだったと思います。悲しみは忘れ得ぬものかもしれませんが、いつか家族でhanaちゃんと過ごした日々を懐かしむ日が来ると思います」。悲しみを乗り越えた友人からのメッセージは、ズシリと心に沁みる。 病と闘うhanaは、死ぬ直前になると自分では全く食べ物を口に入れようとしなくなった。動物病院の医師の指示で太い注射器を使って、無理に口から液状になった餌を流し込んでやったのだが、同じような経験をした別の友人はその思い出について記している。それは友人にとって、つらく悲しいことだった。以下は友人の愛犬をめぐるエピソードだ。 ≪わが家の愛犬、シェルティ(外観はコリーとよく似ている。正式名称はシェットランド・シープドッグ)「フラッシュ」は、私があまりに排泄を厳しくしつけ過ぎたために、いつも排泄を我慢していました。トイレは階段の踊り場に設置していたのですが、私は、上るにも降るにも2本足の人間より体に大きな負担がかかることに気づかない愚かな主人でした。腎臓を患い、最悪の状態になってから、そのことに気づいたのです。それから3カ月間、朝と晩、首の後ろに針を刺し、約1時間の点滴をするのですが、フラッシュは針を刺されて、一度もうなったことも怒ったことも、逃げたこともありませんでした。私が「よし」というまで身動きせず、されるがままでした。それほど従順だったのです。 犬歯の間から柔らかい丸めたドッグフードを押し入れても、我慢して飲み込みました。数分たつと全部吐いてしまうのが分かっていても、飲み込んでくれました。私たちの期待と思いに精一杯に答えようとしてくれていました。しかし健康を取り戻すことはありませんでした。ある日、フラッシュは私の腕の中で私の掌の中で呼吸をしなくなり、心臓の動きが止まっていきました。心臓が止まっても私の呼びかけに応えようと、しっぽを振りました。そのいじらしさを忘れることはできません。「死は一瞬にやってくるものではなく、次第にやってくるもの」というある本の言葉を実感した瞬間でした。 物言わず、私と家族を癒し続けてくれたフラッシュの死を見届けることは切なく、悲しく、つらいことでした。あれからもう6年になります。愚かな自分を反省しながら、自分を慰め、精一杯生きてくれた「小さな命」のためにも、人の役に立つ「第2の人生」を生き、いつか天国で会える日を楽しみにしています。≫ ペットは飼い主を選ぶことができない。飼い主に虐待され、人間不信になる犬も少なくないという。だが、2人の友人の話を聞くと、犬を本当の家族と思う友人たちの犬とのつながりの深さに感銘を受けるのは私だけではないと思う。暮らした期間の長短にかかわりなく、ぽてとフラッシュは幸せだったはずだ。さて、長い眠りについたhanaはどうなのだろう。 次回→