小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1259 hana物語(3) シリウスへの旅立ち

画像hanaとの別れは突然やってきた。夜、息が荒くなったhanaを心配し、次女が居間に布団を運んできて隣で寝たが、次女自身、こんなに早く別れがくるとは思わなかっただろう。hanaの様子が落ち着いたのを見て、家族は夜11時過ぎには消灯し、就寝した。時計は回り、7月30日になった。午前2時15分過ぎ、寝ていたはずのhanaが突然「ウーン」という唸り声を上げた。それに気づいた家族全員がすぐに起き出し、hanaの元へ行く。口から黒い液体を吐き出し、苦しそうな顔をしている。 娘が体をさすっていると、hanaは間もなく息をしなくなった。3人で体を障るが、もうhanaの呼吸は戻ってこなかった。「なんで私を残して行ってしまったの」と次女は言いながら泣き出した。妻は「hana、hana」と呼び続け、さらに「ありがとう」と言いながら泣いている。私は妻に合わせて「これまでありがとう」としか言えなかった。hanaを愛した長女に電話をして、「hanaが死んでしまった」と連絡し、次女に代わると、次女は「2時20分だったよ。突然、息をしなくなった」と言いながら、泣き続けた。 1時間後、長女一家が駆けつけてきた。2歳半になる孫娘は「玄関を入るときhanaがキュンと泣いたよ」と長女に言ったそうだ。遊び相手でもあった孫娘には、hanaの歓迎の声が聞こえたのかもしれない。それから、午後2時前に火葬するまで、私たちは交代でhanaの体に手を添え続けた。硬直は進んだが、なぜか体は温かい。いつものhanaのぬくもりのように思えた。 霊園内にあるペット用の火葬場で、1時間半かけてハナの亡骸を火葬にしてもらった。次女とおそろいのブレスレット、みんなでハナの回復を願ってつくった七夕飾り、知人からもらったお守りを一緒に入れた。hanaにとってはどれもが大切なものだったに違いない。hanaの遺骨は家族で拾い集め、小さな骨壺に入れて持ち帰り、写真とともに居間に飾った。家族で話し合い、時期を見て庭の一隅に埋めてやることにした。さびしがり屋のhanaを思ってのことだ。 思えばhanaが私の家にやってきてからというものは、私たち家族の生活の中心にhanaがいた。東日本大震災前には、長女に娘(私にとって初孫)が生まれ、強力なライバルが登場したが、いつしかhanaは孫娘の遊び相手になった。歩き始めると寝そべっているハナの背中に乗って、お馬さんごっこをやる。hanaは我慢して付き合うという光景が珍しくなくなった。hanaは10歳を過ぎて半年後の2012年12月、子宮蓄膿症という大きな病気にかかり、それ以来体調がおかしくなった。それから次第に弱って行ったのだが、それから半年余、よく頑張ってくれたと思う。 「地球から見える最も光っている一等星シリウス。冬に見える『おおいぬ座』群のリーダー役です。オリオンの近くにあるので簡単に見つけることができます。ハナちゃんはここに帰ったのでしょう」。こんなメッセージが、hanaの死を知った友人の一人から寄せられたのは、hanaが死んだあと、一度眠りについたにもかかわらずふと目が覚め、なかなか眠れないという症状が続いたころだ。喪失感という言葉の通りであり、いわゆるペットロスなのかもしれなかった。友人はそんな私を励ましたくれたのである。私はこのメッセージのように、これからはシリウスからhanaが私たちを見守ってくれていると思うことにした。シリウスは地球から8・7光年(1光年は9兆4600億キロ)離れている恒星(太陽のように、自分で光を出す星)だという。シリウスに帰ったhanaは、私たち家族に幸せの光を届け続けてくれるに違いないと。(続く) 写真 近所の風の道広場の花壇にて 次回→