小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1257 hana物語(1) あるゴールデンレトリーバー11歳の生涯 はじめに

画像 わが家の飼い犬だったゴールデンレトリーバーのhanaが死んで1年が過ぎた。毎日写真では見ているが、最近は夢にも出てくることは少なくなった。そこで、hanaと暮らした日々を思い出すために、あらためて「hana物語」を掲載することにした。(昨年、掲載したものを編集し直しました) 第1回 はじめに 「友よ家族よ」 私は毎朝、「ゴールデンレトリーバーの雌犬「hana」と散歩をするのを日課にしていた。コースは大雨を調整するための人工池の周囲の道やけやき並木が続く遊歩道で、四季の移ろいをhanaとともに味わい、その風景を楽しみながら歩き続けた。hanaは私の散歩の友であり、家族の一員だった。だが、病気のため2013年7月30日未明、この世を去った。11歳1カ月の生涯だった。大型犬は10歳を過ぎると、そのあとの時間は「神様からのプレゼント」だといわれるそうだ。その定説が当たってしまい、私たち家族には神からのプレゼントの時間はあまりにも短いものだった。 hanaは2002年7月1日に生まれた。小さいころはやんちゃだったが、この犬種の特徴通り、成長すると穏やかな犬になった。食べること以外では車に乗ることが大好きで、「車」や「さあ…」という言葉に反応し、部屋の中をぐるぐる回り乗せてくれるようせがむ。もちろん、家族のだれかが車のキーを持っただけで大騒ぎをする。若いときは、後部座席から半身を乗り出すようにして外を見るのが好きで、私たちは「暴走族そっくりだ」と、あきれたものだ。 hanaが体調を崩したのは2012年も押し詰まったころで、クリスマスごろから食欲がなくなり、散歩も嫌がるようになった。28日になって動物病院で診察を受けたところ、子宮に膿がたまる子宮蓄膿症と診断され、そのまま子宮を取り出す緊急手術を受けたのだった。この影響でしばらくエサを食べることができず、病院で栄養剤の点滴を受ける年末年始生活だった。血液検査の結果でも肝臓の数値が悪く、これ以後肝臓の薬を与え続けることになったのだが、このころから死因になった肝臓がんの進行が始まっていたのかもしれない。 そんなhanaだったが、体調が少しずつ回復する兆候を見せたのは年が明けた2013年1月8日ごろからで、私が帰ると大きな唸り声でエサをねだるようになった。日記を見ると、1月30日には「人間用のお菓子を盗み食いして吐いた」とあるほかは、しばらく小康状態が続く。しかし、病魔は次第にhanaの体を蝕み続けていたのだ。連休が終わったあとの5月19日、散歩のときに左足を引きずり、歩くのも辛そうな状態となり、病院に行くと肝臓の数値が悪化していると言われたのである。 6月になると、毎日の散歩が苦しそうで、途中で家に帰ろうとする繰り返しが続いた。そして25日に事件があった。和室に置いてあった岩手土産の南部せんべいをひと箱きれいに平らげてしまい、翌日は食べたものを全部吐いてしまったのだ。元気なころは旺盛だった食欲がこの事件以降はなくなり、29日から病院で栄養剤の点滴を受け始める。7月1日の朝方には再び胃の内容物を吐いてしまい、表情は苦しそうだった。2日になると、動物病院の医師は撮影したレントゲン写真を見て肝臓に腫れがあるのが気になると話し、精密検査の設備を持った大型の動物病院を紹介してくれた。 この病院は、あとでも触れるが、hanaが家族から梨をもらい一緒に爪楊枝を飲み込んでしまったときにお世話になったことがある。設備が整った動物病院として知られている。7月4日にこの病院で検査の結果、やはり肝臓に腫瘍があることが分かった。それも難しい部位に腫瘍があり、手術は困難だというのだった。病院に付き添った私たちは、医師の言うことが信じられない思いだった。しかし、ふらつくhanaの姿を見ていると、現実を受け入れざるを得なかった。 私と妻は、それまで2階で寝ていた。hanaも私たちと同じ部屋の自分用の布団で寝るのが習慣だった。しかし、この日以降、私たち夫婦は弱ったhanaのことを考え、1階で寝ることにした。それから、1カ月で悲しい別れの日がやってきたのだ。 この物語は、私たちとのかけがいのない時間を送ったhanaの話をまとめたものだ。家族の前から姿が消えたとはいえ、hanaは家族一人ひとりの心の中に大きな位置を占めている。(続く) 次回→