小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1254 ペットとともに暮らす時代 「犬」論議に思う

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大阪府泉佐野市が犬の糞の放置対策のため導入を検討していた「犬税」について、断念する方向だというニュースを見た。こうした苦肉の策を考えたのは、犬の糞害が相当ひどいということなのだろう。私の散歩する道でも相変わらず糞が放置されているのを見かけるから、この問題は全国的に恒常化しているのかもしれない。犬税をめぐる論議は、ペットと暮らす時代といわれる中で様々な問題があることを示しているようだ。 泉佐野市の人口は、今年5月1日現在9万9594人(推定)。同市は市内で飼われている犬は約5000匹と想定、1匹あたり2000円の犬税を集め、1000万円で路上に放置された糞の清掃に充てようと考えたらしい。しかし、有識者による検討委員会が「導入は困難」という答申をまとめ、構想は頓挫した。狂犬病予防の登録数と推定頭数に開きがあり、しかも課税のためのシステム構築や人件費に1600万円がかかることなど、コストが合わないことが分かったことがその理由である。 犬税は、実は日本でも30年前までは存在していた。ドイツ、オーストリア、スイス、中国などでは現在も維持されているという。よく知られているのはドイツで、地方税として組み込まれ、地域によって税額は異なるが、泉佐野市と同じ人口10万人規模の都市では1匹あたり年間1万2000円くらいになるといわれている。 以前にもこのブログでドイツの犬事情を書いたことがある。動物愛護先進国のドイツでは、ペットを飼うことに大きな責任が伴うという。その間の事情は福田直子著「ドイツの犬はなぜ吠えない?」(平凡社新書)に詳しい。だが、そのドイツでも糞を拾わずに立ち去る不心得者の飼い主も少なくないようで、観光で行った大都市の路上で糞を見かけることもある。ただ、清掃員が回ってきてそれらを早めに処理するので、概ね都市の美観は保たれているといったところらしい。 では、日本はどうか。わが家の周辺で朝夕、犬を散歩する人は数多い。そして、相変わらず糞が転がっている。糞を持ち帰る袋の代わりに、ミニスコップを持った人も見かけるが、糞を土の中に埋めずに、ミニスコップを使って近くの植え込みに放り投げている現場に出くわしたことも何度かある。こんな人は飼い主として失格だろう。このような人たちは、誰も見ていなければ犬が用を足してもそのまま立ち去ってしまうので、乾燥して飛散してしまうまで散歩道はきれいにならない。 わが家の犬が死んで間もなく1年になる。長年、ペットを飼っていた身からすると、朝の散歩はとても気分がよかった。多くの飼い主も同様の思いで朝夕の散歩をしているはずだ。それにしても糞を放置して平気な飼い主の気持ちは理解できないし、犬を飼わない人の不快感は大きいのではないか。
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ドイツの犬はなぜ吠えない