小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1248 歴史・時間の空間に学んだのか 第1次世界大戦勃発100周年

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あまり報道されていないが、ことしは第1次世界大戦勃発から100周年になる。さらに第2次大戦が終わって来年で70年になる。これだけの時間が経たのだから、世界も日本も落ち着いたかと思うのだが、そうはいかない。歴史的、時間的な空間が人類の成長にはつながっていないことに愕然とする。 第1次世界大戦100周年について、在英ジャーナリストの小林恭子(きょうこ)さんが、メディア展望(新聞通信調査会発行)7月号に、ヨーロッパ各国の記念行事の模様を書いている。この戦争の発端になったのは、現在のボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ(当時ボスニアオーストリア・ハンガリー帝国に併合)で帝国のフェルナンド大公夫妻が1914年6月28日に暗殺された事件である。この事件を契機に、ドイツ・オーストリアオスマン帝国ブルガリアによる中央同盟国と、3国協商を形成していたイギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国が戦う。 日本やイタリア、米国も連合国側に属して参戦する。早期に終わるはずの戦争は、予想に反して長引いて5年に及び、兵士・民間人を含む犠牲者は3700万人に達する悲惨な記録を残した。 小林さんの報告によると、戦争の発端になったサラエボ事件の現地では、サラエボ博物館が特別展示をし、大戦の原因を検証する会議や被害者の大公や犯人グループの一人、ガブリロ・プリンツィプの存在を振り返る会議もあったという。市庁舎では討論会やセミナーなどの平和イベントも開催された。 英国、フランスでも様々な式典があり、今後も開催される。BBC放送は英国がこの戦争に参戦する必要があったのかという特別番組も放映した。限定的な戦争で終わるはずだったにもかかわらず、「世界」という名前がつくほど拡大した第1次大戦の教訓は、生かされていないのではないかと思われる。 第1次、第2次の両大戦とも敗戦国となったドイツは、政府による第1次大戦100周年の関係予算は少ないという。それでも記念行事は数多く行われている。 これらのヨーロッパの諸国に比べ、日本で第1次大戦を振り返る行事が開催されたという報道には接していない。それよりも日本では集団自衛権を認める憲法解釈を変える閣議決定という、100年前に戻ったような政治の動きがあったばかりである。政治家も官僚も、第1次大戦がなぜあのように拡大し、長引き、犠牲者が増えたかを考えたことがないに違いないと思ってしまう。 ブラジルで開催されているサッカーのワールドカップは、準決勝でドイツがブラジルに7-1という大差で勝った。試合前には予想されなかった結果だった。「戦い」(戦争は特に)とはこのように、予想や常識が通用しない不条理な世界が展開するのである。 写真は平和の象徴、鳩。我が家の庭に作った巣から孵り、6月上旬に巣立った鳩が1カ月を経て戻ってきた。