小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1245 森に響くキツツキのドラミング 梅雨の晴れ間の朝に

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毎朝、ラジオ体操に参加している。遊歩道の一角に広場がある。そこには色とりどりの花が咲いている花壇があって、この周囲を取り囲むような形で40人近い人たちが体操をしている。けさは梅雨の晴れ間、暑さもたいしたことはなく、さわやかだった。広場の隣の小さな森ではホトトギスが鳴き、「トントントン」という音がする。見上げると、キツツキ(啄木鳥)が雑木の幹をつついでいる。 体操から帰って、俳句の歳時記を見た。ホトトギスは夏の季語だが、キツツキの季語は秋なのである。「キツツキ科の鳥の総称で、小啄木鳥(コゲラ)・赤啄木鳥(アカゲラ)・青啄木鳥(アオゲラら)など。秋、山林を歩いていると、タラララというドラミングと呼ばれる音が聞こえてくることがある。これは樹木に啄木鳥が嘴で穴をうがって、巣を作ったり、虫を捕食したりする音である。羽はそれぞれ美しく、雀から鳩の大きさである」(俳句歳時記・角川学芸出版編)。 ドラミングというのは、動物が鳴き声以外の方法で音を立てる動作のことをいい、キツツキが木の幹をつつくことやゴリラが両腕で胸をたたくことがこれに当てはまる。私が聞いたキツツキのドラミングは巣作りなのか虫の捕食のためかは分からない。その音は「タラララ」というより「トントントン」と聞こえた。それは一定のリズムで、聞いていて心地よかった。 歳時記に載っているキツツキに関する俳句は季語が秋とあって、いまの季節に程遠い作品ばかりなのは当然だ。だが、キツツキは梅雨の季節でも見ることができる。埼玉県所沢市から1年半前に転居してきたという日本野鳥の会会員の人が、朝、望遠レンズ付きのカメラを持って歩いているのを見かけるようになった。話を聞いてみると、最近私の散歩コースの調整池に隣接する森でもアカゲラを見かけたそうだから、体操広場の森にいてもおかしくはない。 歌人石川啄木は、本名が石川一(いしかわはじめ)であり、啄木はキツツキに由来するペンネームだという。啄木は、キツツキが木の幹をつつくときに鳴らす音を世の中に注意を促す警鐘ととらえ、その役割を務める存在でありたいと考え、このようなペンネームを付けたのだという。ちなみに啄木は、それまでに「翠江」、「麦洋子」、「白蘋」というペンネームを使ったが、現代でも通用しているのは最後の啄木である。 啄木の生涯(1886-1912)は26年と短い。明治の半ばから後半にかけての時代である。不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」盛岡市不来方城跡(正式には盛岡城跡公園)には国語学者金田一京助の書による石川啄木の歌碑がある。 この歌は、通っていた旧制盛岡中学を抜け出し、公園で寝ころびながら空を見る少年時代を回想したものだ。多感な少年のさまざまな思いを吸い込んでしまうほど岩手の空はどこまでも高く、深かったのだろう。盛岡で生活をした友人たちも、城跡から北国の空に見入ったに違いない。 梅雨の晴れ間のきょう、わが家の窓から見る空も青く澄んでいる。 不来方のお城にて 雪、そして風
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