小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1238 一面が白い幻想の世界 ノイバラ咲く調整池

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散歩コースに調整池があることは、このブログで何回も書いている。周囲が1周1キロほどの散歩コースになっていて、すり鉢状の底の部分に池が3分の1、残りが雑草地帯(野原)になっている。雑草のほかにいつの間にか雑木も育ち始め、現在は一面白い花のノバラ(ノイバラ)が咲いている。野原に咲くノバラは幻想的である。ノバラで多くの人が思い出すのは、「童は見たり…」の「野ばら」というあの歌だろう。しかし、この歌に出てくるノバラは白ではなく赤い色である。なぜなのだろう。 この歌は、ドイツの文豪、ゲーテ(1749-1832)の詩にシューベルトとウェルナーが曲を付けた。日本では近藤朔風の訳詞で知られている。3番まであるが、いずれも最後は「紅(くれない)におう 野中の薔薇」となっている。 「童は見たり 野なかの薔薇 清らに咲ける その色愛でつ 飽かずながむ 紅におう 野なかの薔薇」(1番) 「野いばら」という梶村啓二の小説がある。江戸幕府の軍事情報探索のため、生麦事件直後の横浜で暮らした英国軍人の手記を偶然手にしたビジネスマンが英国軍人のその後をたどる内容だ。題名の通り、ノイバラがキーワードになっている。この本にはノイバラの説明として以下のように記されている。 バラ科シンステラ節。東アジア、日本原産。落葉低木、半つる性、1~3メートル。分岐多数、奇数羽状複葉、枝に鉤形の刺あり。花期5、6月。白、小輪、五弁。枝先に円錐花序を出し、芳香のある白い花を多数咲かせる。果実は小球形、光沢あり紅熟、晩秋まで残る。1860年頃アジアおよび日本からヨーロッパに伝播。バラ改良の原種としてモダンローズに房咲き性やつる性を与え、ポリアンサ系、フロリバンダ系の始祖となる。現在、人の手で交配されて作り出されたバラは2万7千種とも言われ、その祖先はノイバラなど8種類の原種のみから成り立っている。学名のムルティフローラは「沢山の花」を意味する。(「園芸植物大辞典」・小学館より) この小説のハイライト場面でも「尾根に至る斜面全体が白いざわめきに揺れていた。清清しい香りが全身を包んだ。ノイバラの群落は(略)、何事かをささやきあうように無数の白い花の花弁を小刻みに震わせていた」という記述があり、イギリスで咲くノイバラは白だと表現している。 一方、ゲーテの詩にあるのは「紅=赤」のバラだが、それは、ボッティチェッリのビーナスの誕生にも描かれたというヨーロッパ系バラの原種、ロサ・ガリカ(花は赤い)あたりだったのだろうか。白い花のノイバラがヨーロッパに伝わったのはゲーテが死んで30年後のことだから、そんな気がするのである。 三木露風作詞、山田耕筰作曲の「野薔薇」という歌には色の記述はない。 1、野ばら 野ばら 蝦夷地の 野ばら 人こそ知らね あふれ咲く 色もうるわし 野のうばら 蝦夷地の野ばら  2、野ばら 野ばら かしこき 野ばら 神の御旨を あやまたぬ 曠野の花に 知る教え かしこき野ばら 1917年(大正6)夏、北海道函館にいた三木露風から送られた絵はがきの余白にこの詩があり、それに山田耕筰が曲をつけたものだそうだ。(講談社・日本のうた300、やすらぎの世界より)ノイバラは白い花だから、その色を書く必要はないと露風は思ったのだろうか。調整池にひっそりと咲くノイバラ。当分の間、清清しい香りが散歩する人を包み込む。 写真 1、2、4、はノイバラ。3は調整池の斜面にいた鴨、6枚目はアザミ。 鴨一羽取り残されて所在なげ 画像画像
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