小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1228 酒を傾けて アルコールにまつわる話

画像
「酒 傾ければ 愁い来らず」(月下独酌より)。唐時代の詩人、李白はこんな詩を残している。 評論家の草森紳一(1938-2008)は「酒を売る家」(竹書房)という漢詩解説書の中で、李白を酔いどれ詩人と評し、「李白の酒の詩はみな豪快だが、底なしの愁いがある」とし、この句について「『愁い来らず』と平気で口にするだけ、かえってその愁いは深くなっている」と書いている。桜前線が列島を駆け抜け、桜花の下で宴を開いた人は少なくないだろう。人はどんな思いで今年の春を送っているのだろう。 昨夜、友人たちとの懇親会があり、席上酒にまつわる失敗談も俎上に上った。私は最近の花見のあとの失敗談を披露して、失笑を買った。過日、若い友人たちと桜が満開になった近所の公園で花見をし、ビールやワインをかなり飲んだ。昼の酒は回るのが早かった。帰っていく友人をJRの駅まで送ろうと、自転車を押しながら歩き出したのだが、100メートル程度歩いたあと、自転車ごと右側に横転し、顔や手をすりむいてしまった。 「まるでスローモーションのようでした」と友人にいわれたが、自身は倒れるまで足元があやしいことに気づいていなかった。大事には至らなかったものの、近所の人にこの横転シーンを見られ、恥ずかしい思いをした。家族から飲みすぎを厳しく注意されたのは言うまでもない。 歴史学者和歌森太郎(1915-1977)の「酒が語る日本史」(河出書房新社)には、古代から近代までの酒にまつわる様々な話が紹介されている。ヤマトタケルノミコトによる熊襲征伐に酒が利用されたことが古事記日本書紀に記されていることなど、酒で不覚をとった話は数限りなく多いと、和歌森は書いている。 こうした古代から酒による失敗談が多く残されているにもかかわらず、依然としてそれは繰り返されている。酒はそれほど強い魔力があるのだろう。作家の山口瞳(1926-1995)は「酒飲みの自己弁護」(新潮社)という作品で、酒にまつわる思い出話を披露し、読者の心をつかんだが、酒好きな人間はいろいろな理由をつけて酒を飲んでしまうということを、この本で思い知らされた。 和歌森によれば、江戸幕府を開いた徳川家康は、実はかなり短気な性格で、長い時間酒を飲む宴にいることは好まなかったという。 和歌森は同書で「家康は世情いわれたような忍耐強い人間として、言いたいことを言わず、動きたくとも動かずがまんしているなどという人物ではなかった。忍耐強かったとすれば信長亡きあと、直ちにあとを受けて蹶起することなく、次の機会の到来を待った、その辛抱強さはたいしたものだが、あくまでも政治的、軍事的顧慮によることである」と指摘し、「彼には酒の持つ効用はあまり理解されなかったようで、ただ、ひとえに、浪費、頽廃につながるものとしか、考えられなかったようである」とも記している。 イギリスの作家・評論家のコリン・ウィルソン(1931-2013)は「わが酒の讃歌」(徳間書店)で、酒の効用に絡んで、アルコール中毒になった一人の作家のことを書いている。「ドナウ川のほとりで」という釣りをテーマにした短編が日本でも翻訳されたネグリー・ファーソンという旅行作家である。 移動外国通信員として地元民が不可能という真冬のコーカサス横断をし、1917年のロシア革命の際はモスクワの赤の広場におり、インド独立の父といわれるガンジー逮捕の現場にも居合わせた。ウィルソンは彼の酒量は信じがたいと紹介し、「彼は飲むとがぜん輝きだした。走り出すまで30分もかかるがたがたするような自動車に似ていた。アルコールがエンジンを正しい温度まで高めるのである。(中略)彼の中毒は薬物に頼れる性質のものではなく、意識の限界を拡大したいという内的要求だった」と続ける。 ウィルソンによると、ファーソンがアルコール中毒で治療を受けた精神科医は、精神分析のあと「あなたのアルコール中毒はおつづけなさい。たとえ私がそれを矯正したとしても、同時に、あなたの才能まで矯正してしまうかも知れませんから」といったそうだ。 酒を浪費と頽廃につながると考えた家康とはだいぶ違う、粋な医者もいたのである。 写真 緑が濃くなった遊歩道(記事とは関係ありません)