小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1207 最後に輝きが ソチ五輪閉幕・歴史に残る羽生、葛西、浅田3選手

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ソチ五輪が閉幕する。ソチと日本の時差は5時間だが、現地時間午後10時に決勝が始まる競技もあり、多くの人が寝不足になったのではないか。欧米のテレビのゴールデンタイムに合わせるため遅い時間に競技のスタートを組んだというから、五輪の商業主義が進んでいるのは間違いない。それはさておき今回の五輪で話題になった日本選手の3人を挙げると、フィギュアの羽生結弦浅田真央、スキージャンプの葛西紀明ではないかと思う。 羽生はショートの演技で史上初の100点以上の得点を出し、フリーは不本意な演技だったが、何とか逃げ切り金メダルを獲得した。東日本大震災の被災者の一人でもある。葛西は41歳というスポーツ選手としては峠を越えた年齢にもかかわらず、ラージヒルで銀、団体で銅と2つのメダルを取った。それに対し浅田は6位と成績は振るわなかった。しかし、2人に負けず劣らず、最後には輝きを見せた。 初めて行われた団体と個人のショートで、トリプルアクセルという女子選手では難しいジャンプに挑んで失敗した浅田は、個人のショートではだれもが目を疑う16位に沈んだ。そして、2020年の東京五輪組織委員会会長に就任した森元首相は「見事にひっくり返った。あの子、大事なときには必ず転ぶんです。負けると分かっている団体戦に浅田さんを出して恥をかかせることはなかったと思うんですよね」と発言し、その言葉の軽さに批判が集まった。 浅田のフリーの演技は、彼女の真骨頂といえるものだった。ショートで失敗したトリプルアクセルを含めジャンプのすべてを完璧に決め、これまでの個人の得点の最高点を得た。フリーでは優勝したロシアのソトニコワ、銀メダルの韓国キム・ヨナに次ぐ3位の成績だったが、この2人にひけをとらない後世に残る演技だったといっていい。演技が終わると涙を流し、その後に微笑みを見せたのが印象に残った。 浅田のフリーの演技に使われたのは、ロシア出身の作曲家、セルゲイ・ラフマニノフのピアノ協奏曲2番の第一楽章だった。ピアノ協奏曲1番(1890-1891)が失敗作と評価され、挫折を味わったラフマニノフが、第2番の名曲を完成させたのはその10年後(1900-1901)のことだった。ラフマニノフはロシアの10月革命後の1917年12月、祖国を離れ、69歳で亡くなるまでロシアに帰ることはなかった。 ロシアの人たちは浅田の演技を見、ラフマニノフの曲(浅田の演技の部分は第1楽章の第1主題=陰鬱な熱情と緊張あふれるハ短調)を聴いて何を思ったのだろう。浅田はこの曲が持つ「ロシアの哀愁」を演じ切り、私はなぜか静謐という言葉を思い浮かべた。 手元にある第2番のCDを聴いてみた。ベルナルト・ハイティンク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団ウラディーミル・アシュケナージのピアノという名盤(録音・1984年)で、これまで何度聴いたか分からない。アシュケナージもまた、故国(かつてのソ連・現在のロシア)を離れ、ピアニスト・指揮者として世界的な音楽家になっている。 ソチ五輪涙のあとに微笑みが