小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1152 つかの間の喜悦~それはまたつかの間に地に堕ちる 五輪と古代ギリシャ詩人

画像2020年の夏の五輪(第32回)・パラリンピック開催地に東京が決まった。アルゼンチン・ブエノスアイレスで開催されているIOC総会の中継のテレビ映像を、早朝から見ていた人は多いだろう。歓喜に沸くシーンを繰り返し流すテレビの映像を見ながら、最近読んだばかりの詩の一節を思い浮かべた。その詩は、古代ギリシャの詩人、ピンダロス古代オリンピックの讃歌だ。

知人のコラムニスト、高橋郁男さんの「詩のオデュッセイア ギルガメシュからディランまで、時に磨かれた古今東西の詩句・四千年の旅」という連載詩論が、詩の専門誌・季刊「COAL SACK」76号からスタートした。高橋さんによると、この連載では「紀元前のギルガメシュ詩経ホメーロスの世界から、万葉、ダンテ、シェークスピア芭蕉ゲーテボードレールランボー、朔太郎、賢治らを経てボブ・ディランの辺りに至るまで、時に磨かれた東西の詩句を年代に沿って辿り、寸感を添える」という試みだ。高橋さんならではの壮大な知的作業である。その1回目の第1章「太古から古代ギリシャ・ローマへ」で、ピンダロスの詩が紹介されている。

ピンダロスはオリンピックの祝勝歌を多く書いたことで知られている。孤高の詩人ともいわれ「戦いは知らざる人には甘美なれど、知る人はその近づくをあまりにも怖れる」と歌い、ペルシア戦争では中立を守ったという。高橋さんはピンダロスについて、次のように書いている。

≪▼ピンダロス古代ギリシャ 前520頃~440頃か)

・オリュンピア祝勝第8歌

黄金の冠を戴く競技の母オリュンピアよ、

真実の女王よ!

・ピュティア祝勝第8歌

つかの間に人の喜悦は生い育つ。しかし願いをくじく神の意志に揺すられれば、

それはまたつかの間に地へ堕ちる。

はかない定めの者たちよ!人とは何か? 人とは何でないのか? 影の見る夢

―それが人間なのだ。

 「祝勝歌集/断片選」(内田次信訳 京都大学学術出版会)

古代オリンピックの讃歌 古代オリンピックは紀元前8世紀にオリュンピアで始まり、一千年以上も続いたという。長い中断の後、19世紀末に近代五輪としてアテネで再開された。2004年に再びアテネで開かれた際、授与される金、銀、銅のメダルの裏に、このピンダロスの「オリュンピア祝勝第8歌」の一節が刻まれた。

ピュティア競技会の方は、アポロン信仰の中心地デルポイで開かれていた。引用の一節は、レスリングの優勝者を誉め讃える長い詩の末尾近くに出てくる。賛辞の連なりの果てに現れる人間存在への省察が、詩を引き締め、奥行きを与えている。≫

私は「つかの間に人の喜悦は生い育つ。しかし願いをくじく神の意志に揺すられれば、それはまたつかの間に地へ堕ちる」というピュティア祝勝第8歌の一節が気になった。高橋さんはそれを「人間存在の省察」という達意の言葉で解説している。いまの日本社会には東日本大震災の復興、事故を起こした東電福島第一原発の汚染水問題をはじめとする原発事故の完全収束など、難問が数多い。

IOC委員に対するプレゼンテーションと質疑の中で安倍首相は、汚染水漏れ問題について「状況はコントロールされており、東京にダメージが与えられることは決してない」「汚染水による影響は港湾内の0.3平方キロの範囲内で完全にブロックされている」と語った。これは国際公約ともいえる言葉であることを忘れてはならない。

今、つかの間の喜悦に浸ることはいいだろう。だが、原発事故をめぐる難問を解決することができなければ、日本に対する国際社会からの信頼は「地に堕ちる」ことになってしまう。そんなことを考えながら、複雑な心境でテレビの報道を見た私はへそ曲がりなのかもしれない。