小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1148 hana物語 あるゴールデンレトリーバー11年の生涯(14)短い命を燃焼

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人間と飼い犬の強い結びつきは、「忠犬ハチ公」の話でよく知られている。飼い主が愛情をかければ、犬にもそれがよく伝わるということなのだろう。以前、読んだモンゴメリーの「アンの娘リラ」という小説の中にもそれを示すエピソードが盛り込まれている。hanaが通っていた近所の動物病院の医師がhanaを診察しながら「この子にとって飼い主さんの愛情が一番のごちそうなのです」と話してくれたことがある。それは忘れることができない言葉として私の胸に刻まれている。 モンゴメリーの「赤毛のアン」シリーズは、世界的なベストセラーで、いまでも多くの人に読まれている。「アンの娘リラ」は、第一次世界大戦という時代を背景にアンの末娘・リラの目から見たカナダの実情を描いた、アンシリーズの最終作(8作目)だ。リラには3人の兄がおり、物語は兄たちがドイツとの戦争に出征した後のアン一家の姿を中心に進行していく。リラの家にはマンディという名の愛犬がいる。マンディは長兄のジェイムズが出征するとき、駅で見送り、そのまま駅にとどまり、彼の帰りを待つ生活を続ける。さらに次兄のウォルターが戦場で死んだときには、同じ時刻に悲痛な鳴き声をあげる。ジェイムズは戦地で行方不明になるが、家族があきらめかけたときにカナダへ生還、マンディと感動的な再会を果たす。 このようにモンゴメリーは、マンディとアン一家の姿を通じて人間と動物の心の触れ合いの理想形を示した。小説というフィクションの世界の話とはいえ、現実とかけ離れた話ではないはずだ。それは私たちに「飼い主の愛情が一番のごちそう」と語った獣医さんの考え方と共通するものではないかと思う。飼い主が大事にすればするほど、犬たちはその思いを動物的勘で理解するのである。 hanaは11歳と1カ月足らずの生涯だった。これが短いのか平均的なのかはよく分からない。この犬種(ゴールデンレトリーバー)になじまない飼育方法が5つほどあるといわれる。それは(1)戸外につなぎ放しにする(2)独居させる(3)仲間(家族)として認めない(4)散歩に連れて行かない(5)餌と水をきちんとやらない―ことだそうだ。いま考えてみると、私たち家族は5つの反則は犯さなかったと思う。家族間では「hanaはこの家の娘と思っているに違いない」が共通認識だった。来客がなければ、台所を除いてどこでも自由に歩き回り、時にはソファーで一緒に昼寝をする。いまでも家の中から時々抜け毛が見つかる。それはhanaがこの家で暮らした証ともいえるものだ。 ノーベル生理学医学賞を受賞したコンラート・ローレンツは「人イヌにあう」という本の中の「忠節と死」で「神が世界を創造したとき、将来、人とイヌの間に友情が結ばれることを予見していなかったにちがいない。さもなければ、神はイヌに主人よりも5倍も短い生命を割り当てたことについて、はっきりとした、だがわれわれには不可解な理由をもっていたのだろう」と、イヌの寿命の短さについて書いている。 そして「よちよち歩きの可愛らしい子イヌだったものが、まぎれもない老年のしるしをみせ、その死が2、3年後にかならずやってくるということを知るのは地上の生命のはかなさを悲しく思いださせる」と書き進め、これまで飼育した犬との別れや新しくやってきたイヌとの暮らしについて記している。私たち家族はhanaが死ぬときまで、こんなに早く別れの日が来るとは考えていなかった。わがままでもいいからあと数年は元気でいてほしかった。だがhanaは人間の5倍以上の速さで命を燃焼したのだ。わが家に残る多くの写真から、その命の輝きが伝わってくるのである。(続く)
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