小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1145 hana物語 あるゴールデンレトリーバー11年の生涯(11)3・11のこと

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2011年3月11日の東日本大震災は私の「個人史」の中で特筆すべき事象であり、同じ思いの人たちは少なくないはずだ。11年という短い生涯だったhanaにとっても、衝撃的な大地震だったに違いない。当時我が家で産後の静養中の長女が留守番をしていた。赤ちゃんを抱えて、眠れぬ一夜を送った長女にとって、hanaの存在は大きな支えだった。 3・11の揺れは広範囲に及んだ。マグニチュード9・0という巨大地震は大津波を誘発し、東京電力福島第一原発に危機的状況を与えた。宮城県栗原市震度7という最大震度を記録したのをはじめ、大阪や兵庫でさえ震度3を記録している。首都圏にある我が家周辺の揺れは震度5弱だった。この日は家族のうち私と次女は東京都内の勤務先におり、妻はけがをした母親の見舞いのため泊りがけで秋田市に出かけていた。 ふだんならhanaだけが留守番をしているはずだが、この年の1月末に子ども(私にとっては孫である女の子)を生んだばかりの長女が、赤ちゃんと犬のミニチュアダックスフント(ドの表記もあり)の「ノンちゃん」と一緒に我が家に来ていて静養中だった。こんな大災害があることは全く予想外のことであり、夜には私と次女も帰る予定だったから、長女も赤ちゃんと2匹の犬と一緒にのんびりとしていた。 hanaは、雷や花火の打ち上げの音など大音響が大嫌いで、家の中にいても雷が鳴り出すと震え出し、落ち着きなくあちこちを歩き回る。散歩の時に運動会の合図の花火が打ち上げられるとその音に驚き、散歩をやめて家に帰ろうとする。体は大きいが、気持ちは優しすぎる犬だった。だから、これまで経験のない大きな揺れにhanaは震えた。外へ避難する長女にうながされ、hanaも飛び出した。揺れはその後も続いたため、しばらく家には戻れない。 私は地震のあと、何度か携帯電話で自宅に電話し、1回だけつながった。長女がこのとき「「物が散乱して大変だ。早く帰ってきて」と話したことを覚えている。しかし、私も次女も、長女の夫も東京の勤務先から帰宅できず、長女は赤ちゃんとhana、ノンちゃんとともに、いつでも避難できるようにと1階で長い夜を送った。テレビでは大津波の惨状、燃える気仙沼市内の様子の映像が次々に映され、長女の心細さは尋常ではなかったのではないか。そんな長い時間、そばにはhanaとノンちゃんがいた。hanaにとって長女はまさに姉であり、一番大事な存在だ。そのhanaが寄り添っているだけで長女は少しだけ心細さを忘れることができたようだ。 この年の4月、私はこのブログに「4月のhanaのつぶやき」を載せた。3・11に対する思いをhanaに代弁してもらう形で書いたものだ。 《この間の日曜日に、家族と一緒に近所の遊歩道を散歩しました。桜が満開で私(ゴールデンレトリーバー)とちびちゃん(ミニチュアダックスフンド)は大満足ではしゃいで歩きました。でも家族もあまり元気がないし、道を歩く人たちも様子が変なのです。ふだんなら、お酒を飲んで騒いでいる人たちがいるのに、そんな姿はありません。先月の大きな地震以来、日本はどうなってしまったのでしょうか。 あの日のことは、よく覚えています。家にはお姉さんと赤ちゃん、それに私とちびちゃんが留守番をしていました。大きな揺れがあって、お姉さんは慌てて赤ちゃんを抱き、私とちびちゃんを連れて外に逃げ出しました。その後も余震があって、なかなか家に入ることができません。赤ちゃんが風邪をひかないか心配でした。 その夜、家族はだれも帰ってきませんでした。地震交通機関がマヒして帰ることができなかったのです。だから、お姉さんは赤ちゃんを抱っこし、私とちびちゃんを見守りながら1階の居間のソファーに座ったまま夜を過ごしました。私は雷が大嫌いで、ゴロゴロ鳴り出すと体が震えるのですが、大きな地震でもそうなりました。私以上にちびちゃんは震えていました。 あれからもう1カ月が過ぎました。余震というのだそうですが、毎日、揺れが続いています。だから、花が咲いて散歩が楽しい季節なのに、散歩を楽しむことができません。ちびちゃんは、家にいると揺れが感じるので、外にいる方が楽しいようです。うれしそうに走り回る姿を見て、そう思います。 今度の地震では、私たちの仲間が津波で被害に遭った地方に向かったそうです。津波で家が壊され、がれきだらけになってしまった場所を生きている人がいないかどうか捜索する手伝いをしたのです。 その場所はいろいろな災害場所に行った人たちも、これまで経験したことがないほどのひどさだったそうです。私には仲間のような能力はありません。でも、ちびちゃんと一緒に家族を守りたいと思うのです。 私はこの夏9歳になります。満開の桜は何度も見ましたが、ことしほど寂しい桜の季節はありませんでした。それは長い人生を送っているお父さんやお母さんも同じ気持ちかもしれません。来年は楽しい花見ができるように、私もちびちゃんも祈っています》 この大震災から2年4カ月でhanaは生涯を閉じた。hanaにとって、長女たちと送った3・11の夜は生涯の思い出になったに違いない。(続く)
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ きょうは8月15日。終戦の日だ。友人のブログ「冬尋坊日記」で、神戸の空襲で孤児になった人のつらい話が紹介されている。折から神戸大空襲を扱った映画「少年H」が公開中だ。友人のブログ「戦争孤児に冷たかった日本人」はここから→http://blog.livedoor.jp/taktag555/